句碑【月花塚】

今宵見る月の外にもさかつきに
みちてこほるるさけもまたよき
信仁亭月和孝
(しんじんていつきわたかし)

花のみか酒さえあるかおもしろし
ゆめのよし原夢の世の中
花信亭明鐘起
(かしんていあけがねにおきる)

 これは狂歌を好んだ雑司が谷在住の茗荷屋沖右衛門(雅号を鹽梅舎辛伎)が両人の早世を悼み、社中の仲間に呼びかけて建立したものです。これが完成した時には追悼の狂歌会が盛大に催されたそうです。
 またこの碑の筆をとったのは、芭蕉や西鶴、近松とともに江戸文学の担い手として名をはせた太田蜀山人(1749〜1823)です。

句碑【乙字】

 木揺れなき夜の一時や霜の聲
乙 字

 作者の大須賀乙字は高浜虚子とともに正岡子規の双璧をなした河東碧悟桐の門下で「碧門の三羽鴉」として活躍した俳人です。いつの頃か本納寺で開かれる句会に乙字も参加しており、乙字七回忌の時にゆかりの場所として当時の仲間達によって建てられたのがこの句碑です。

句碑【錦風居士】

 夜は雪の明るさをもつ櫻哉
錦風居士

 勝峯晋風氏が亡父の句を自ら書いたもので、左下に晉風書と彫られています。

勝峯晋風(1887-1954)
 本名は晋三。俳人であり、俳文学者。新聞記者生活15年を経て、大正12年の関東大震災以降は俳諧の研究や著述に専念するようになりました。俳句ははじめ父錦風(きんぷう)に学び、のちに伊藤松宇の教えも受けました。松宇主宰の俳誌『にひはり』を引受けて刊行の後、みずから俳誌『黄燈』を創刊。俳文学に関する編集・著述多く、俳諧研究に大きな足跡を残しました。

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