本納寺の境内墓地には、旧大名の井上家(浜松井上家)の宝篋(きょう)印塔七基が格護されています。そのうちの慶長9年(1604)の一基は井上家初代正就の父のもので、同型の墓塔として関東では最古といわれます。
その次に古いものは、元和4年(1618)で、その内室のものです。
「慶長九年九月十四日歿 井上半右衛門清秀 浄幸院殿玉林栄昌日長大居士」
「元和四年 八月二日歿 法幸院殿日慶大姉」
井上家は清和源氏頼季流の末裔で、初代正就は二代将軍徳川秀忠の近侍となり、元和8年(1622)遠江国横須賀五万二千五百石を領しています。一般に浜松井上家といわれていますが、横須賀から常陸笠間、それから各地を経て、遠江浜松へと転封を重ねております。
なお、当井上家の歴代墓はもともと文京区白山の浄心寺にありましたが、明治42年11月に本納寺の離れ墓地に改葬され、平成8年夏に本納寺境内墓地に再改葬されました。