台湾からのお客様
2016年7月10日
法鼓山中華仏学研究所
台湾の法鼓山中華仏学研究所の方々が来寺されました。
法鼓山創立者の聖厳法師(1930-2009)は、先代と親交があり、客殿完成の時にもたくさんの信者さんと共においで下さいました。
このたび聖厳法師の文物史料デジタルアーカイブおよび理念普及計画というプロジェクトの基に、ご訪問させていただくことができ、心より厚く御礼申し上げます。
聖厳師父が留学中大変お世話になりました本納寺に、プロジェクトのメンバーたちが自ら訪問いたすことができましたこと、とても貴重な経験となり、史料収集、普及計画にとてもプラスになりました。
今後も本納寺におかれましては、ますますご隆昌のこととお祈り申し上げます。
中華仏学研究所所長 釈果暉
※以前本納寺前のアパートに住み、立正大学に留学していた台湾僧の釈果暉(洪鴻榮)師が所長になっていました。
法鼓山
法鼓山の創立者の聖厳法師は
「法鼓山には大きな資金力はない、しかしその影響力は深遠で広大である。これは私達の特色だ。法鼓山は社会のために良好な気風をもたらし、有益な修行方法を提供する。これは私達が貢献できることだ。」と話されている。 僧団は1980年に創立された。
設立の主旨は仏教教団を組織し、青年僧の育成、法鼓山の理念を教え広め、よってこの世の浄土の理想を実現することにある。
この組織の主要な活動は研究と開発、各種座禅修行の推進、仏学教育、思いやりの心の教育と普及などである。法鼓山の僧団は聖厳法師を精神的な指導者とし、その創立は1977年に聖厳法師が米国から台湾に帰国し、中華仏教文化館と農禅寺を引き継いだ時に始まる。仏法を広め、将来三宝の住職となる青年僧の人材育成のために、農禅寺は1979年8月に「三学研修院」として成立した。成員は当初10人であった。その後、僧俗四衆の成員が増加した。「法鼓山世界仏教教育園区」の竣工によって、現在この中心組織も法鼓山に移った。聖厳法師は2009年に御遷化されました。
「法鼓」この言葉は、仏典中しばしば現われる言葉である。
たとえば《妙法蓮華経》では「惟願天人尊,轉無上法輪,撃於大法鼓,而吹大法螺,普及大法雨,度無量衆生,我等咸歸請,當演深遠音。」で、「撃大法鼓」とは、仏法の太鼓の響きは人々の心を浄化し、人々の心に安楽と平静をもたらすのである。法鼓山の地理的な形状は、太鼓が横たえられたようで、経典の比喩に基づき鼓に似た形から「法鼓山」と命名された。
法鼓山の宝物に「法華の鐘」がある。2006年12月23日に、法鼓山鐘楼落成記念式典が行われた。法華の鐘の材質は青銅の鋳造で、重量254.5トン、高さ4.5メートル、直径2.6 メートル、最も厚い箇所は29.6センチメートルで、唐様式の梵鐘である。2004年5月に日本の「老子株式会社」に鋳造を依頼し、2005年11月に完成した。「法華の鐘」には梵鐘の内側外側に《妙法蓮華経》1部、69,636文字と、《大悲呪》1巻、424文字が鋳込まれ、「多宝塔と双仏陀坐像」が描かれている。
〈ウィキペディアより抜粋〉
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