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本納寺団体参拝旅行

2013年11月11日

房州団参紀行

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初めて団体参拝に参加して 宮川照正

7月の信行会の帰りに、信行会参加の仲間から「9月3日・4日に本納寺の団体参拝旅行で千葉の鏡忍寺、誕生寺などを参詣するのでご一緒しませんか?」と誘われた。何か都合があったのだが思い出せない。カレンダーにも予定を書き込んで居ないので、参詣に連れて行って頂く事にした。
当日第一集合場所は本納寺横の線路際。三三五五集まり、第二集合場所の池袋東口へ。皆様マナーのよい事、池袋駅前を予定より少し早く出発。護国寺から高速道路に乗り、アクアライン経由で木更津へ向かう。海ホタルで小休止。展望台での景色は360度のパノラマ。とても綺麗なので、その光景を数枚カメラに収めた。
第一目的地の鏡忍寺へ到着すると、既に駐車場には東京西部地区寺院のバスが勢揃いしていて、本納寺は8号車に指定されていた。用意して頂いた本納寺の輪袈裟を着用し全員参列。小松原法難750年に合わせ改装なった祖師堂には250人にもなった由、9月にも拘わらず大勢の熱気で汗が胸元迄つたって来るのがわかるほどの暑さ、扇子や団扇では間に合わず。正装のお上人はさぞ暑さも一入であろうと愚見した次第。荘厳のうちに法要は終わった。
また法要の後、小松原鏡忍寺縁起を語られたお上人の名調子は、講談でもお聞きして居る様な心持ち、日蓮聖人を助けんがため、千年槙の木に降神された鬼子母神様のお話など、場所柄も弁えず暫し聞き惚れて出来うればテープに吹き込んで置きたい程であった。
刀剣で切られ血の付いた布(衣)など、当時の貴重な数々の品も見せて頂く事が出来、幸せでした。凡夫の身、思う様に書き顕すことが出来ぬのが残念である。
第二目的地の誕生寺には本納寺が真っ先に出発。誕生寺前のホテルにて昼食後、徒歩にて誕生寺に。門を潜れば両側に石燈籠が林立しており壮観である。本堂は平成3年に建立されたそうで、堂内を見上げれば格天井になっており、石川響画伯による植物・花の絵が82枚。霊山浄土とは此の様な所であろうかと、つい見とれて仕舞う程の素晴らしさであった。客殿は宮家の接待所にもなるという程の総桧木造りで、回廊を通り拝観することが出来る。格式のある建物は素人でも覗い知ることが出来た。一般観光客には此の様な処迄見せて頂けないのではないだろうか。
ホテルは海に面し、8階の部屋からの眺望は太平洋が一望できる。屋上にある大浴場で日中の汗を、海を見ながら流し、夕食まで暫し雑談タイム。六時少し前、房総半島の山の彼方に茜色の夕日が落ちていき、さながらサンセット鯛の浦と云うところであった。次の日の予報はよくなかったが、我々に遠慮したのか厚い雲も風に流され、夕焼けを堪能することが出来た。
次の日は4時に起床したが、雨模様のためご来光は諦め、5時15分に清澄寺へ向かって出発。降ったり止んだりの道中、霞か霧が時々視界を遮る。雲の中を走って居るのか、まるで霊鷲山か虚空にでも向かって居る様な錯覚を起こす程である。清澄寺に着いた頃には傘はなくとも良い程で、霧が消えれば祖師堂が目の当たりに浮かんでくる。
朝勤参列中、突然背中が寒くなり、風と共に小雨が祖師堂の中迄吹き込んできた。かつて別当をお務めになられた岡﨑英雄猊下が「お務めの後、法衣が重くなる」と何かに書いておられたが、私共も少し実感することができた気がした。下界では想像出来ない貴重な体験であった。
大聖人が初めてお題目をお唱えになられた旭が森には住職が代表で石段をのぼり、私共は下で合掌し、小雨の中バスに乗り込み清澄山を後にした。
皆様とお詣り出来た事の感激。元気であればこそ感謝の日々である。ただ此の頃、物忘れが多くなり年齢を実感する。9月4日は歌舞伎座の招待日であることを失念して居た事も「人間万事塞翁が馬」と。
此の度、団体参拝旅行に参加し、お陰さまで無事お詣りが出来たことは、仏様・御祖師様からご褒美を頂いた心境である。あえて申せば、より多くの信徒皆様とご一緒出来れば、尚楽しかったと。

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