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鎌倉1日参拝

2014年11月9日

九老僧感得報恩法要 比企谷妙本寺

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昨年10月17日、当山のお会式に併せて宿願であった九老僧木像を開眼し、安置することができました。
九老僧とは日蓮聖人直弟子日朗聖人の高弟九人のことです。
このたび、鎌倉にある日朗聖人由縁の大本山比企谷妙本寺にて「日蓮聖人、日朗聖人、九老僧感得報恩法要」が厳修され、その法要では本納寺九老僧木像が御宝前に列座されました。
法要の前に妙本寺 早水日秀猊下にお話をいただきました。
「この度本納寺で九老僧が再々興されたというのは、日蓮大聖人が教主釈尊の出世の本懐※1である法華経(妙法蓮華経)を感得し、帰依され心身を投じていかれたと同じ様に、本納寺が檀信徒一丸となって、九老僧を感得するということです。この感得することが重要なのです。」

感得とは、真理や縁を感じ悟ること。また三宝諸尊やご先祖を通じて、望みがかなえられることをいいます。なかなか難しいことですが、時にしたがって、場所によって、心にしたがって、常にアンテナを張っておくことが大切なことです。

猊下は、御像一体一体に願文・花押の筆入れをしてくださいました。
また御宝前の横には、日蓮聖人が御入滅の際、日朗聖人に枕頭に掲げるように命じたという原寸大の「臨滅度時御本尊」(複製)※2を掲げて、細かくご説明くださり一同感激しました(めったなことでは出さないものなのだそうです)。
この日は、あいにく弱い雨が降っていましたが、昼食には湘南名物のしらす丼や鎌倉野菜を味わい、鶴岡八幡宮をお参りしたり、小町通りを歩いたりとミニ鎌倉散策を楽しみ、充実した一日となりました。

※1 永遠の過去から悟りを開いた仏が衆生救済のため、最高の教えである『法華経』をお示しになるためにこの世に誕生されたということ
※2 日蓮宗新聞社によって原寸大で復製された最初のもの。弘安3年(1280) に揮毫され、弟子日朗上人に授与された御本尊。御真筆妙本寺蔵

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活躍!明治大学ラグビー部 三橋功太郎選手

2014年10月18日

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名門「紫紺ジャージ」の明治大学ラグビー部で活躍中の本納寺檀信徒、三橋功太郎選手をご紹介します。
まさに今、関東大学ラグビー対抗戦のシーズン中で、三橋選手は開幕の筑波大戦から出場。持ち前の「反応の速さ」で勝利に貢献しています。怪我を克服し、小柄な体格ながら、チーム内の競争を勝ち抜いて紫紺ジャージを獲得するまでには、言葉では言い尽くせない苦労と努力があったことでしょう。
お人柄も、さすが名門運動部とあって礼儀正しい好青年。試合中はそれこそ鬼の形相ですが、普段は笑顔がさわやかなベビーフェイスです。先日も昨年ご逝去されたおばあさまに試合出場の報告のお参りにいらっしゃいました。元気いっぱいの応援で応援席では有名人だったというおばあちゃま、さぞお喜びのことでしょう。
本納寺のもちつきにも小さい頃から参加してくれていて、昨年はラグビーで鍛え抜いた、すごい身体で、「バスバス」と搗いていってくれました。搗き上がるのが早いこと早いこと。
三橋選手は住職の高校の後輩にあたるもので、いつも「調子はどう?」「頑張って!」と気に掛けていたところに最近の大活躍です、大喜びの大興奮。
これからも三橋功太郎選手のますますの活躍を期待しましょう!

「今、大学四年で最後のシーズンが始まりました。なんとか優勝できるように日々努力しているところです。これから慶應と早稲田と強いチームとの試合が待っていますので、1試合でも多く紫紺のジャージを着て試合に出場できるよう頑張ります。またお寺にお参りいかせていただきます。(三橋功太郎)」

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本納寺 御会式

2014年10月1日

26年お会式行事のご案内

1017日(木)午後6時開式(無料)
宗祖日蓮大聖人第733遠忌御報恩法要
清興 「落 語」 三遊亭萬橘 師

演目はその日にお客様を見て決めさせて頂きたいのですが、いかがでしょうか?(三遊亭萬橘)

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出演者紹介 三遊亭萬橘(さんゆうてい・まんきつ)
生年月日 昭和54年(1979年)1月20日 法政大学文学部出身
芸歴
2003年7月 三遊亭圓橘に入門。前座名「橘つき」。 2006年10月 「きつつき」で二ツ目昇進。 2013年3月 真打昇進、四代目「萬橘」襲名
受賞
2007年3月「さがみはら若手落語家選手権」優勝。 2009年2月「第六回伝統芸能祭りグランドチャンピオン大会」グランプリ
※初代萬橘師は珍芸「ヘラヘラ」で一世風靡し、名を馳せた。戦後この名跡を襲名する者は現れていなかった。76年ぶり。
二代目萬橘師のお墓が本納寺にある。

本納寺書道展のお知らせ 1017日(金)・18日(土) 10時~16

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お会式に併せて写経会および子供・大人書道教室のみなさんの作品を展示いたします。
ぜひご覧ください。

26年 子供科学実験教室

2014年9月3日

地下世界の不思議を探れ!

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7月25日、今年も本納寺で子供科学実験教室が開かれました。小学生13名、中学生1名が、気温35℃の中、土の温度や質感を観察するという実験に取り組みました。
まずはお向かいの大鳥神社で掘らせていただいたのですが、1メートルちょっとのところで固い層?石?根っこ?につきあたり、断念。
気を取り直し、本納寺の境内に去年掘って残しておいた4.1メートルの穴からさらに堀り進めることにしました。こちらは順調に5メートルまで到達し、地中の温度や手触りなどのすばらしいデータを採取することができました。最後のまとめの時間には、最初の予想と実際の観察結果を比べ、サンプルの土をお土産にもらって解散となりました。

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参加者からは
「深くなって行くごとに土がパラパラからネチョネチョになっていくのが面白かった」「学校でやらないことなので貴重な体験ができた」「大鳥神社で何にぶつかったのか気になる」「本当に地下水が出てびっくりした」など、感想が届きました。
小森先生より
今年も強烈な暑さでしたが、みなさんの頑張りで地層を掘ることができましたね。あの後、掘った穴に1メートルごとの精密な温度計を設置しました。これで、好きな時に地温を測定できる仕組みが完成しました。このような地温のデータは、全国・全世界で見ても意外に少ないものです。興味がある人は地温をチェックしにお寺に行ってみましょう。
北山先生より
地面の下をのぞき見ると、途中でこれ以上掘れないところに遭遇したり、地下水が出てきたりと不思議な世界が広がっています。都会でもこんなに素晴らしい貴重な自然体験ができる、そのことをもっと多くの人と共有したい、そう思える楽しい一日でした。

第11弾 燈明

2014年8月9日

「For Kids 11」

好評第11弾です。
ご感想をお待ちしております。myo-eizan@honoji.or.jp

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2014年7月19日

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名残を惜しみながらマイトリースクールを後にして、次は世界的に貴重な仏教建築群(世界三大仏教遺跡)のあるバガンに移動。
さかのぼること一千年、日本では平安中期の頃である。ミャンマーではビルマ族による国家統合が進み、仏教文化・バガン王朝が出現した。その興隆の姿が今日に残る仏塔(パコダ)・バガン遺跡群であり、今日のミャンマー連邦共和国の源流となっている。
早朝、空模様は怪しいが、朝日を拝みにシュエサンドー・パゴタの遺跡に登る。段々明るくなってきて、雲の隙間から太陽が出るかもと期待したが、結局拝むことはできなかった。それでも遺跡の上から見える景色は、一面のサバンナで、ぽつぽつと小さな遺跡が建っており壮大この上ない。そこここから日の出を見るための観光用気球が地面からポコポコ生まれてくるように飛び立ってくるのも面白い。日頃の慌ただしさを忘れ、ゆっくりした時間を過ごすことができた。
次にニャウンウーマーケットという市場へ。いかにもアジアという雰囲気の市場で活気に溢れている。野菜、果物、米、肉、魚などのほか日用品なども売っている。生ものを扱っているせいだろう臭いはそれなりにするし、衛生的にもどうかという感じではあった。市場の周りの道路には馬車も走っていた。 続いてバガン最大の見所、アーナンダ寺院へ。金色に輝く仏塔と四方にのびる大きな回廊、それぞれ四方に安置されている高さ10メートルくらいの四仏は圧巻であった。ガイドさんが、近くで拝するのと離れて拝するのでは、お顔が違うと教えてくれたので、何度も行ったり来たりして拝んだ。その後アーナンダ寺院とならんでバガンを代表する仏塔のあるシュエズィーゴォン・パゴタ等を観光した。
短い期間ではあったが、ミャンマーの人々の親しみやすさ、純粋さに触れられて、今までの目で人・景色を見ていろいろ感じ、考えるだけではダメで、今までとは違う新たな自分の目を持つと言うことが大切なんだと痛感した旅となり、充実の研修になった。
これからミャンマーは大きく変わっていくだろう。
日本は発展とともに「本当の良い生活とは、物質を多く享受する生活ではなく、豊かな精神と文化を持つことである」ということを忘れてしまっていた。どうか忘れないでほしい。(達彦記)<終>

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本納寺子供科学教室

2014年7月4日

夏休み子供科学教室開催のお知らせ

「地下世界の不思議を探れ!」

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私たちは自分の目でどこまでを直接見たことがあるかな?
真横は?遠くに見えるビルならここか何km、富士山なら100km、そんな先までを見たことあるはずです。
では、真上は?どんよりした雲なら1000m、入道雲なら10000mくらい上かな。夜空に見る星ならば何億km、何兆kmの先を見たことがあるはずですね。
ならば、真下は??もしスコップで掘ったことがあるとしても1mくらいかな?
去年はこんな言葉から始まり、ヘルメット姿の子供達が4.1mも掘ってしまいました。そして地下水を掘りあて、地層を見て、地温を測って。本格的な地下世界を直接見て触って、考えることができました。
そして、今年もやります。
みんなで記録更新を狙い、もう少し詳しく、地下世界の不思議を地球科学や環境学の視点から探ってみたいと思います。」(小森先生より)

日 時:平成26年7月25日(金曜日) 9時30分から12時30分まで
場 所:本納寺信徒室
対 象:小学1年生~6年生 (中学生・付き添いの方の見学可)
定 員:20名(定員になり次第締め切らせていただきます)
会 費:500円(軽食付き)
持ち物:筆記用具
参加ご希望の方は、本納寺(03-3971-4384)まで、お電話にてお申し込みください。
お名前、学年、参加人数をお知らせください。

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講師紹介 小森次郎氏
1969年練馬区生まれ。帝京平成大学講師。立教大学非常勤講師。理学博士。
地学系の学科を卒業後、ダム,道路,発電所などの建設の前に行う地質調査の会社(地質コンサルタント)で働く。
その後、大学の実験助手、大学院生、小学生理科実験教室講師、大学非常勤講師、ブータン王国でのJICA専門家を経て現職。
専門は、自然地理学、環境学、災害科学。
ツイッター「jirokomori」フェイスブック「Kom Jiro」
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2014年6月4日

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いよいよ今回の旅のメインともいえるザガインのマイトリースクールに到着した。
先祖や親がハンセン病であるということから、家族ごと隔離され、差別にあっている人達に最低限の教育をと、NPO法人T・M良薬センターが建立した小学校である。
子供達は全くな健常者であるにもかかわらず、差別をうけ、以前はまともな教育が受けられなかったそうだ。ボロボロの藁葺き屋根で、雨風もしのげないような校舎。雨期があるこの国で、どれだけ過酷な状況だったことか。
それでも学校の通える子供はいいほうで、通学できない子供がほどんどだったそうである。
現在は、日本の学校とまではいかないが、立派な校舎が建ち、机や椅子、黒板なども揃っている。

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以前、そのT・M良薬センターのセンター長から、日蓮宗のカンボジアスタディーツアーに同行してもらえないかというお誘いを頂いたことがあった。子供達と一緒にサッカーをしてほしいという依頼だった。私がやってきたサッカーが少しでも役に立つのならと承諾したが、そのスタディーツアーの日程は学校の修復等で予定が合わないという理由で、残念ながら実現しなかった。
「それなら個別にスタディーツアーを企画しましょう」という別の依頼がきて、サッカーボールやサッカーゴール、ユニフォーム等を支援して、楽しんで喜んでもらおうということになったのである。
ミャンマーはサッカーが大好きな国である。
私達が到着すると、みんな笑顔で、手を振って迎えてくれた。
大教室に集まった子供達を前に、寄贈式が開かれた。さすが仏教国、私の挨拶をみんな合掌して聞いてくれる。
「私達はみなさんとお友達になりたくて来ました。サッカーは、ボールひとつで、言葉が通じなくても、年が違っても、性別が違っても、人を結びつけることができます」等と緊張しながらお話しした。
子供達の発育と幸福を願いご祈祷を厳修して、式は終了。

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いよいよグランドでサッカーの時間である。子供達は支給されたユニフォームとスパイクを身につけ登場。父兄なのか近所の方なのか、多くのギャラリーがいたせいか、胸を張って誇らしげな登場で、かわいい。キックオフすると目を輝かせ、みんな一心にボールを追いかけ始めた。いいプレーをした子に、ジェスチャーで褒めると、照れくさそうにしながらも、嬉しくて仕方がないという笑顔を返してくる。
実は「今回サッカーボールの支援をすると聞いたけど、本当に必要とするものはボールではないでしょ」という声もあった。もちろん生活のための物資の支援も必要で大切である。しかし、生活や勉学の余暇にする遊びや楽しみを味わう喜びは子供達にとっては貴重な機会に違いない。そしてそれは一緒にサッカーをしたあの子供達の満面の笑みが証明してくれた。
「悪い天気」で晴天、ピッチレベルでは40℃はあるのではないかという暑さの上、芝生(雑草)や砂利でボコボコのピッチ。日本の子供達はなんて恵まれているのだろうと改めて感じた時間でもあった。
ピッチの外では、保育士さんがサッカーをしていないたくさんの子供達に囲まれていた。折り紙をして遊んでいるようだが、人垣がすごくてどこにいるのか見えないほどである。どうやって折るの?このあとどうしたらいいの?と殺到して大賑わいであった。(達彦記)〈つづく〉

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2014年5月2日

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今回のミャンマーツアーの目的は、現地の保育園・小学校を訪問し、紙おむつ・粉ミルクなどの食料品・医薬品や教材・備品などの支援をし、一緒に遊んで楽しんでもらうことである。そんなわけで、いつもの仲間に加えて、M保育園の保育士の方々と合同での訪問となった。
最初に訪れたのは、ヤンゴンの孤児院。施設名を聞いたのだが、ヤンゴン2日目の僕には覚えられず、看板を見てもビルマ文字だったので、全く解らなかった。
中に入ると、ホールにはおもちゃやぬいぐるみがいっぱいで、1歳から3歳くらいの子供達がぞろぞろと30人くらいホールに出てきてくれた。顔に「タナカ」とよばれる白っぽい粉というかファンデーションのようなものを塗っている。みんな人懐こくてかわいい。「遊んでー」「だっこしてー」と寄ってくる。あとで聞いたのだが、子供達はおむつをしておらず、おもらししたら、着替えればいいということだったようだ。だっこしている最中おもらしする子がいなくてよかった。
M保育園の先生方は私達がホールで幼い子供達と遊んでいる間、奥の子供達の部屋へ行き、もう少し大きい子供達と用意してきた折り紙や手遊びをしたりして、過ごしたそうだ。言葉が通じなくてもコミュニケーションがとれて、楽しんでもらえたことに手応えを感じていた。きっと先生方にとっても貴重ですばらしい体験だったことであろう。
この孤児院は職員よりもボランティアの方が大勢いて、子供達はたくさんの人に囲まれていた。この施設に入っている子供達はかなり恵まれている方なのだろう。

次にルンビニーアカデミーという保育園を訪問。ここは少し裕福層向けの保育園である。小さな教室で子供達と対面。早速、M保育園の先生方が折り紙や紙風船を取り出し遊び始めるが、子供達は緊張気味。そこで紙風船をぽーんぽーんとしながら渡してみると、グシャっとする。また膨らまして渡すと、またグシャ。つぶすのが楽しいらしい。そんなことをしているうちに段々と打ち解けてなごやかムードに。
2階に上がって案内された教室では英語の授業をしていた。就学前の年齢にもかかわらず、かなり本格的な内容である。これまでのミャンマーは貧しく、ろくに教育を受けられなかったとのことだが、少しずつ発展してきた現在はこのように教育に力を注げるようになっている。
M保育園一行の反省のつぶやき「小さい子に、紙風船はダメだね」。

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マンダレーに移動してからの夕食は、ミャンマー女子サッカーのナショナルチーム代表K監督とご一緒することができた。現在のミャンマー代表監督は日本人なのである。言葉の通じない国でサッカーを指導するにあたってのエピソードや文化の違いによる苦労話は、サッカー好きの私にはとても面白く、興味深いものだった。翌朝、練習があるということで、出来上がったばかりのスタジアムに同行し、練習を視察させてもらえた。なかなかできない体験で嬉しい限りである。

この日は雲ひとつない晴天。いい気分でガイドさんに「今日はいい天気ですね」と言うと「ミャンマーでは太陽がでていると猛暑になるので、曇りの日をいい天気というのです。今日は悪い天気です」と返された。
ミャンマーの女性・子供達が顔に塗っている「タナカ」とは、ミカン科のタナカの木(小髙木)の樹皮の部分をすりおろしたもので、水で溶いて顔につける。日焼け防止や保湿・殺菌・肌荒れ予防などの効果があるとされていて、塗ってしばらくするとパリパリに乾いてくる。さらさらとしていて、ベビーパウダーのような触り心地の上、柑橘系なので清涼感があり、香りもいい。暑いミャンマーの気候にはぴったりである。

スタジアムを離れ、マンダレーからザガインへ向かう。途中マンダレーから車で一時間くらいの丘の上に日本人墓地がある。丘の上まではバスでは上がれず、トラックの荷台(ミャンマーのバス?)に乗り換えてガタガタ揺られながら昇っていく。丘の上は街が一望できてすばらしい景色である。
M保育園の保育士の方の曽祖父が戦時中ミャンマーで亡くなられたそうで、「ミャンマーに行くと言ったら祖母がとても喜んでいました」とのこと。日本人慰霊碑に戦没者の名前が刻まれていたので、みんなでひいおじいさんのお名前を探してみたが、残念ながら見つからなかった。慰霊碑前で読経し、謹んでご回向した。
「有難うございます。祖母に伝えます。」と保育士さんに感謝され恐縮。日本から遠く離れたこの地まで来た甲斐があったというものだ。(達彦記)〈つづく〉

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2014年4月10日

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ここ数年、仏教支援や仏教研修のためアジアツアーに出かけている。今回はミャンマーへ。
シンガポール経由でミャンマーヤンゴンに到着。アライバルビザの手続に時間がかかるわ、荷物を受け取ればいきなりスーツケースの鍵が壊れているわで、空港で既に前途多難な予感である。
建物の外に出ると、暑い!乾季で35℃くらいあるという。町は思ったより都会で、緑が多いが車も多く、渋滞も・・・。

昔はビルマとよばれていたミャンマーを少し紹介すると・・・、
19世紀後半に、イギリスによる植民地支配が始まる。20世紀中期、アウンサンの指揮により ビルマ連邦として1948年に独立を果たすが、アウンサンは暗殺され、後継者ウー・ヌーが初代首相に就任。その後少数民族勢力との武力闘争の過程で、軍事政権による独裁体制が続くことになった。国民への軍事政権による弾圧が続き、その軍政主導政治を非難し政治の民主化を求める欧米から経済制裁を受けるなどして半鎖国状態となり、経済が著しく停滞。20世紀後半から、アウンサンの長女であるアウンサン・スーチーを指導者とする民主化運動が台頭し、ようやく2011年軍政から民主化された。国内の政治的事情も改善の動きが見られたことで、米国やアジア各国間の急速な関係改善が進み、欧米日企業のミャンマー進出活動が活発化した。アジア最後の経済未開拓市場として 今後の発展が最も期待される国となっており、日本からも多数の企業が進出している。

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なにはともあれ、と、まずは巨大な寝釈迦牟尼仏を参拝。全長70メートル高さ17メートルもあり、南の仏像らしく目がくりくりと大きい。さすが90%が仏教徒という国の規模で到着早々圧倒される。
そのあとは早速初めての食事。とてもおいしかったが、なんだか高級な店構え。一食目なのでツアー会社が気を遣ってくれたのだろうか。 ミャンマーはお米の国だ。ポピュラーな料理はミャンマーカレー。カレーといっても日本やインドのカレーとは味もスタイルも異なり、スパイスのきいた煮込みといったほうがしっくりくる感じ。それをパラパラなご飯の上にかけて食べるのである。そしてもう一つ有名なのが国民的な朝食といわれる、モヒンガー。ソーメンに似た米麺を、ナマズだしの、もったりしたスープに入れて食べる。ホテルの朝食で口にしたが、これも美味しかった。
ヤンゴンで最も大きく賑やかなアウンサンマーケットでロンヂー(ミャンマーの民俗衣装)とミャンマーサンダルを購入した。
ロンヂーとは巻きスカートのような布で、軍人、警察官など一部の少数を除いて老若男女が毎日の生活に着用している。他の東南アジア各国で洋服文化が広まる中、頑なに伝統を保っているミャンマーでは、都市だろうが田舎だろうがみんなロンジーをはいていた。
この2点は大変心地よくミャンマー滞在中は、私達もずっとロンヂーにサンダルスタイルだった。

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夕方からはヤンゴン最大の聖地 シュエダコォン・パゴタヘ参拝。仏塔は金色に輝き、中にはお釈迦様の聖髪8本が祀られているといわれている。 昼間は石床の照り返しで40℃以上になるためお参りは困難とのことで、私達は日没前にお参りしたのだが、床はまだ熱を持っていて、ミャンマーではお寺に訪れるときには素足でお参りしなければいけないので、足裏が暖かかった。
境内の東西南北にはそれぞれにお堂があり仏陀像がそびえている。後光が電光なのが面白い。
仏塔の外周にはところどころ小さな祭壇があり、大勢の人で賑わっていた。ミャンマーの伝統暦「八曜日」の守護像である。
ミャンマーの人々にとって「八曜日」は生活の一部なのだそうだ。「何日に生まれたか」より「何曜日に生まれたか」が重要で、各曜日は方位・星・動物もあらわし、当該の方位に祭壇が据えられていて、その曜日に生まれた人の人生を守護してくれるといわれている。西暦の七曜制と違い、水曜日が午前と午後に分けられて「八曜日」となるとのこと。
祭壇の前では、それぞれ、その曜日生まれの人が熱心にお参りしている。私も「生まれ曜日」の土曜日の祭壇へお参りした。南西の方角で動物は龍、星は土星だった。
熱心な仏教国ミャンマーでは9割の男性が出家し、一通りの修行と教えを学び、最終的にそのうち2割が仏門に残り、僧侶となる。
象徴である仏塔(パゴタ)は国中に大小無数にあって、聖なる場所として大切にされている。ガイドさんも仕事がないときは必ずお参りにいくと言っていた。(達彦記)〈つづく〉

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九老僧再々興

2014年3月22日

『九老僧制作にあたって』

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平成25年4月のとある日。本納寺住職が私の工房へ来られ、日蓮聖人の孫弟子にあたる九人の老僧のお像=九老僧(くろうそう)の制作のお話しをいただきました。お話しを伺ってみると、本納寺の門前には『九老僧安置』と明記された大きな石塔が存在するのですが、九老僧のお像がお寺のどこを探しても見当たらないという何とも不思議な経緯でした。
さらに、九老僧に関する史料というのは皆無に等しいということでもあり、私は制作を開始する前に九老僧一人ひとりがどのような個性を持った人物であるか、また九人がそれぞれどのような関係であったかを知ることから始めなければならないと感じました。4月の終わり、住職からご紹介をいただき日蓮宗大本山池上本門寺様の霊寶殿担当安藤様をお訪ねし、そこで大変興味深いお話しを伺いました。
まず一つ目に、九老僧に関する史料及び御像はほとんど残されていないとのこと。
また二つ目に、九老僧それぞれの思想の違いもあり、一同に祀られることはなかったであろう、とのことでした。
そこで私は、今回の制作に於いては史料が少なく、それぞれの人物を実在していた時の姿で忠実に表わすのは難しく、またそれを追い求めてもあまり意味のないことと判断し、ある一つの世界を形として現せたら、という思いでお像の制作を開始いたしました。 春に育ち、夏に耐え、秋に想い、冬に考え、それを繰り返し成長し、調和状態になって行くように、九老僧一人ひとりがそれぞれの役割を持ち、ある方は春であり、ある方は夏であり、またある方は秋、冬…。そしてある方が太陽、そして月、と言ったように力(エネルギー)に差はあっても、全てが揃ってはじめて一つの世界が生まれてくるようなイメージで十体の御像(日朗上人含む)を制作いたしました。そこに、元々お祀りされておられた日蓮聖人が中心となり、一つの曼荼羅の世界が出来上がったかと思います。 平成25年10月17日「宗祖御日蓮聖人第732遠忌御報恩会」が本納寺本堂にて厳粛に執り行われました。当日、仕上がったばかりの九老僧を前に、住職が「これは気合いを入れて開眼しなくては」と仰いました。この言葉を聞いた時、私は住職の心の中に九老僧が納まってくれたのだ、とホッとしたのが正直な気持ちでした。
開式の時刻を伝える鐘が鳴り響くと、本堂にはお檀家さんや地域の方々が続々と集まってきて下さいました。私の知人や仏像彫刻教室の生徒さんたちもお祝いに駆けつけてくれ、嬉しさもひとしおでした。
法要が無事に終わり、お檀家さんが用意して下さった「すいとん」の味は忘れられないものとなりました。気のせいでしょうか。住職の娘さんが運んでくださった私のすいとんは他の方よりも多く具が入っているような気がしてなりませんでした。
今回多くの方々に御焼香をして頂き、住職をはじめ式衆の魂のこもった開眼供養を受けた九老僧の姿は、私の胸に深く刻まれることとなりました。九老僧がこれから先、多くの方々の御心に寄り添って下さることをご祈念いたします。
仏師 藤田 良夫

平成25年10月17日。この日は私にとって忘れることの出来ない日となりました。
日蓮大聖人の732遠忌の法要当日、沢山の御供え物が並べられ、煌びやかな御本堂に安置された九老僧は、すでに私たちの手を離れ、菩薩としての役割を遂行しようとしておられるかのようなお顔でした。住職に始まり、檀信徒の皆様お一人おひとりにご焼香いただき、立ち昇る煙を見上げながらふと目をやると、日蓮聖人のお顔は微笑んでいるかのようでした。法要も終盤にさしかかり、住職の木剣加持が本堂に鳴り響くと、私は肩の力が抜け、心が浄化されてゆくのを感じました。全てのものへの感謝の気持ちが溢れ、涙を止めることが出来ませんでした。
この度の九老僧制作にあたりましては、その史料の少なさゆえ各人の性質・性格的特徴からお顔の表情を推定することが難しく、最後まで「これで良いのか」という自身への問いかけが続きました。それだけにあの日、皆様に『再興された九老僧』に手を合わせ受け入れていただきましたことは、何よりも嬉しいことでした。
これから何十年、何百年先までも九老僧が檀信徒の皆様のお心に寄り添い、この雑司が谷の地を守護して下さいますよう切にお祈りいたします。
仏師 岩﨑 真理

【藤田良夫 略歴】
1922年(昭30)栃木県真岡市生まれ。1970年(昭45)仏師・渡邉貞光氏に弟子入り。1975年(昭50)独立。
◎近年の主な制作例
1995年(平7)天照大神 像高30センチ(北海道)・1995年(平7)日蓮聖人座像 像高1メートル(東京)・1997年(平9)大黒天立像 像高1メートル(京都)・2001年(平13)薬師三尊立像 像高1メートル(静岡)・2003年(平15)鬼子母神立像 像高2メートル(四国)・2008年(平20)釈迦如来座像 像高1メートル20センチ(千葉)・2009年(平21)龍神尊立像 像高1メートル50センチ(熊本)。
◎個展・受賞歴
2010年(平22)金沢・髙木糀商店にて二人展『素心仏展』開催。2012年(平24)東京・林泉寺にて二人展 『春の林泉寺展』開催。2012年(平24)一般社団法人 日本画府第五九回公募展に初入選。「浮現観音」が奨励賞受賞、及び「気付き観音」入選。2013年(平25)一般社団法人 日本画府第60回記念日府展にて「毘沙門天」、及び「気付き観音」入選。2013年(平25)横浜髙島屋および日本橋髙島屋にて二人展。平成25年3月には宮城県石巻市を訪れ、被災した方々に小さな仏様約70体を手渡す。毎週日曜日には仏像彫刻教室を開催し、地域住民を対象とした生涯学習活動を行っている。
【岩﨑真理 略歴】
1980(昭55)愛知県名古屋市生まれ。2008年(平20) 仏師・藤田良夫氏に弟子入り。2009年(平21)早稲田大学大学院教育学研究科後期博士後期課程単位取得退学。2010年(平22)聖観音立像 像高六○センチ(愛知・助正院様)
◎個展・受賞歴
2008年(平20)三愚舎ぎゃらりー『雑司が谷・鬼子母神界隈を描く展』にて「子安鬼子母神」画廊賞受賞。2008年(平20)三愚舎ぎゃらりー『雑司が谷・鬼子母神界隈を描く展Ⅱ』 にて「子安鬼子母神・文月」を特別出品。2009年(平21)一般社団法人 日本画府第五六回公募展に初出品。「子安鬼子母神」が初入選。2010年(平22)一般社団法人 日本画府第五七回公募展に「夢想観音」入選、及び新人賞受賞。2010年(平22)金沢・髙木糀商店にて二人展『素心仏展』開催。2012年(平24)東京・林泉寺にて二人展『春の林泉寺展』開催。2012年(平24)一般社団法人 日本画府第五九回公募展にて「花かんのん姉妹」入選、及びアート企画賞受賞。2013年(平25一般社団法人 日本画府第六○回記念日府展にて「いのち」入選。2013年(平25)横浜髙島屋および日本橋髙島屋にて二人展。平成25年3月には師匠の藤田と共に宮城県石巻市を訪れ、被災した方々に小さな仏様約70体を手渡す。 

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九老僧再々興

2014年3月4日

九老僧安置

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当山門前左側の石碑に「九老僧安置」と刻まれております。
寶永5(1708)年5月18日 第5世日猷上人の代に、従五位下中山備前守丹治信敏の願により勧請され、その後寶歴9(1759)年9月19日、第11世日圓代 施主中山備前守丹治宗信の寄進によって再興されています。石碑は寶曆三(1753)年十二月に造立されました。
これらのことは、雑司が谷周辺の郷土史『若葉の梢』『櫨楓(ろふう )』の記述にて確認できます。先々代兜木正亨師が編集した『新編若葉の梢』(昭和33年5月15日発行)にも「本納寺に九老僧安置」と記述されているのですが、どこにも見当たりませんでした。どうして無いのかも、いつまであったかのかも不明です。
九老僧というのは、日蓮聖人の直弟子日朗上人の高弟9人のことです。 勧請された時の朗門とのつながりも、どうしてここ本納寺に九老僧なのかも、わかっていません。
しかし、以前、九老僧が当山に安置されており、檀信徒を御守護してくださっていたことは間違いありません。
この度、平成25年度の新盆志納により九老僧を勧請しました。
九老僧が、再々興されたわけです。木像製作は地元雑司が谷にある平安堂の佛師 藤田良夫師と岩﨑真理師にお願いしました。
これから先の皆様を御守護くださることでしょう。

九老僧とは日蓮聖人の直弟子日朗上人の高弟九人の総称で、後の教団に大きな影響を与えた方々です。そのため、古来宗門では「朗門の九鳳」、または「九老僧」と称しています。
・肥後阿闍梨日像上人・大教阿闍梨日輪上人・大法阿闍梨日善上人・大円阿闍梨日典上人(日伝とも)・大前阿闍梨日範上人・摩訶一房日印上人・大乗阿闍梨日澄上人・妙音阿闍梨日行上人・越中阿闍梨朗慶上人

第10弾 蓮の花

2014年2月12日

「For Kids 10」

とうとう第10弾になりました。
いつもたくさんの方に読んでいただけて光栄です。
ご感想をお待ちしております。myo-eizan@honoji.or.jp

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年末 12月28日 おもちつき大会

2014年1月19日

恒例 おもちつき25年

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昨年末のもちつき大会は、仕事納め後の土曜日だったせいか、例年より多くの参加者で大盛況でした。お父さんの出動率も高く、搗き手がたくさんあって助かりました。また信行会や写経会に参加してくださっている方々がお手伝いしてくださり、円滑に安全に開催することができました。ありがとうございました。
またこれからもちつき大会を控えている小学校の役員の方々や新たにもちつき大会を始めようと計画中の寺院のお上人も視察・体験においでくださいました。視察・体験というより、すっかりお手伝いしていただくことになってしまって恐縮、、、。
当日集まった募金30,935円は、日蓮宗東京都西部社会教化事業協会を通じてアーユス仏教国際協力ネットワークに寄付いたしました。

「児童合唱コンサート」

2014年1月1日

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

「児童合唱コンサート」 

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昨年のお会式奉納公演は、こどもの城児童合唱団のコンサートでした。仏讃歌「蓮の花」を歌いながらの入場で始まり、唱歌メドレー、上を向いて歩こう他、40分以上にわたり元気いっぱいの歌声が本堂に響きました。
「間近で合唱が聴けて迫力があった」「感動して涙が出た」「この合唱団の公演をまた聴きに行きたい」「みんなが楽しそうに歌うのが何より素晴らしい」など、たくさんの感想を頂きました。
指揮、指導の吉村温子先生からも「大切なお会式で歌わせて頂き子供達にとっても素晴らしい経験になりました。これからも笑顔で進んで行きます。」とお礼のお言葉が届きました。
コンサート後ふるまわれたすいとんを食べ終わる頃には、ちょうど鬼子母神に万灯が入ってきて町も大盛り上がり。みなさんお祭りを楽しんでお帰りになったようです。

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