今回のミャンマーツアーの目的は、現地の保育園・小学校を訪問し、紙おむつ・粉ミルクなどの食料品・医薬品や教材・備品などの支援をし、一緒に遊んで楽しんでもらうことである。そんなわけで、いつもの仲間に加えて、M保育園の保育士の方々と合同での訪問となった。
最初に訪れたのは、ヤンゴンの孤児院。施設名を聞いたのだが、ヤンゴン2日目の僕には覚えられず、看板を見てもビルマ文字だったので、全く解らなかった。
中に入ると、ホールにはおもちゃやぬいぐるみがいっぱいで、1歳から3歳くらいの子供達がぞろぞろと30人くらいホールに出てきてくれた。顔に「タナカ」とよばれる白っぽい粉というかファンデーションのようなものを塗っている。みんな人懐こくてかわいい。「遊んでー」「だっこしてー」と寄ってくる。あとで聞いたのだが、子供達はおむつをしておらず、おもらししたら、着替えればいいということだったようだ。だっこしている最中おもらしする子がいなくてよかった。
M保育園の先生方は私達がホールで幼い子供達と遊んでいる間、奥の子供達の部屋へ行き、もう少し大きい子供達と用意してきた折り紙や手遊びをしたりして、過ごしたそうだ。言葉が通じなくてもコミュニケーションがとれて、楽しんでもらえたことに手応えを感じていた。きっと先生方にとっても貴重ですばらしい体験だったことであろう。
この孤児院は職員よりもボランティアの方が大勢いて、子供達はたくさんの人に囲まれていた。この施設に入っている子供達はかなり恵まれている方なのだろう。
次にルンビニーアカデミーという保育園を訪問。ここは少し裕福層向けの保育園である。小さな教室で子供達と対面。早速、M保育園の先生方が折り紙や紙風船を取り出し遊び始めるが、子供達は緊張気味。そこで紙風船をぽーんぽーんとしながら渡してみると、グシャっとする。また膨らまして渡すと、またグシャ。つぶすのが楽しいらしい。そんなことをしているうちに段々と打ち解けてなごやかムードに。
2階に上がって案内された教室では英語の授業をしていた。就学前の年齢にもかかわらず、かなり本格的な内容である。これまでのミャンマーは貧しく、ろくに教育を受けられなかったとのことだが、少しずつ発展してきた現在はこのように教育に力を注げるようになっている。
M保育園一行の反省のつぶやき「小さい子に、紙風船はダメだね」。
マンダレーに移動してからの夕食は、ミャンマー女子サッカーのナショナルチーム代表K監督とご一緒することができた。現在のミャンマー代表監督は日本人なのである。言葉の通じない国でサッカーを指導するにあたってのエピソードや文化の違いによる苦労話は、サッカー好きの私にはとても面白く、興味深いものだった。翌朝、練習があるということで、出来上がったばかりのスタジアムに同行し、練習を視察させてもらえた。なかなかできない体験で嬉しい限りである。
この日は雲ひとつない晴天。いい気分でガイドさんに「今日はいい天気ですね」と言うと「ミャンマーでは太陽がでていると猛暑になるので、曇りの日をいい天気というのです。今日は悪い天気です」と返された。
ミャンマーの女性・子供達が顔に塗っている「タナカ」とは、ミカン科のタナカの木(小髙木)の樹皮の部分をすりおろしたもので、水で溶いて顔につける。日焼け防止や保湿・殺菌・肌荒れ予防などの効果があるとされていて、塗ってしばらくするとパリパリに乾いてくる。さらさらとしていて、ベビーパウダーのような触り心地の上、柑橘系なので清涼感があり、香りもいい。暑いミャンマーの気候にはぴったりである。
スタジアムを離れ、マンダレーからザガインへ向かう。途中マンダレーから車で一時間くらいの丘の上に日本人墓地がある。丘の上まではバスでは上がれず、トラックの荷台(ミャンマーのバス?)に乗り換えてガタガタ揺られながら昇っていく。丘の上は街が一望できてすばらしい景色である。
M保育園の保育士の方の曽祖父が戦時中ミャンマーで亡くなられたそうで、「ミャンマーに行くと言ったら祖母がとても喜んでいました」とのこと。日本人慰霊碑に戦没者の名前が刻まれていたので、みんなでひいおじいさんのお名前を探してみたが、残念ながら見つからなかった。慰霊碑前で読経し、謹んでご回向した。
「有難うございます。祖母に伝えます。」と保育士さんに感謝され恐縮。日本から遠く離れたこの地まで来た甲斐があったというものだ。(達彦記)〈つづく〉