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「2024年05月10日」の記事

In Sri Lanka 2

2024年5月10日

In Sri Lanka 2

   コロンボ・ボレッラ墓地内には日本人墓地以外にも英連邦戦争墓地など多くの戦争墓が敷地内に分散しています。ドイツ商船員、ドイツ抑留民、オーストリア看護シスターなどの一般人から、第一次世界大戦の英連邦軍兵士が60人以上、第二次世界大戦の英連邦軍兵士が300人近く埋葬されているとのこと。
   案内された日本人墓地は、手入れされていないのでしょう、雑草が生い茂り、「大日本帝国海軍戦死者慰霊碑」と刻まれた碑の重々しさに堪え難い気持ちで慰霊法要を厳修しました。そのあと英連邦軍墓地にも足を運び、夥しい数の蚊に刺されながら読経してまいりました。
   コロンボでは、サロンを着て街を散策しました。これは一枚の円柱状の大きな布を腰のあたりに巻き込んで着る、巻きスカートのような民族衣装で、普段にも正装時にも着用します。東南アジア諸国に広く分布しており、そういえば以前行ったミャンマーでは同じものをロンジーと呼んでいました。
   ホテルにチェックイン後、夕食まで時間があったので、私は一人でトゥクトゥクに乗り、ペターという下町に出掛けました。生活雑貨や衣料品などの店が立ち並ぶ、大混雑のエリアです。その中を車やバイクが通りぬけるため、人の熱気&排気ガスのすごいこと。コロナ禍でなくてもマスクが必要でした。ぶらぶらお店を覗きながら歩いていたら、民族楽器屋を発見。見知らぬものばかりでしたが、弾き方はいずれYouTubeで研究すればいいかと、ラバナというタンバリンのような楽器と、ダルブッカという筒状の太鼓を、両方で3,000円ほどで購入し、楽しくホテルに戻りました。
   あとで聞いたところによるとペターはあまり治安がよくないエリアで、観光客が一人で出歩くところではなかったそう。しかし、サロンを着ている私に、何人もが「そのサロンいいね!」と声をかけてくれた、とても親しみの持てる町でした。
夕光の海に向かってバグパイプの演奏が響き、スリランカの国旗が掲揚された夕方6時、優子さんの知り合い、シターラさんと夕食をご一緒しました。シターラさんは日本語の上手な男性で、留学や就職など、スリランカと日本との橋渡しをしている方です。
   話しているうちにスリランカでのカーストの話になりました。インドほどではないものの16のカーストがあり、職業別に成り立っているとのこと。例えば、王様に仕える人、お米をつくる人、食事を用意する人、音楽をする人、洗濯をする人など、職業区分によってランクが決められているそうです。今でもカーストを意識している年配者と違い、若者たちは、もうあまり気にしていないとのことでした。ただ、お坊さんだけは例外で、7歳を過ぎれば誰でも出家ができるとはいえ、カーストが上の人しか教団に入れないため下のカーストで僧侶になる人はいないと教えてくれました。
  v各国の小学校を訪ねサッカー支援をしている私は、シターラさんに「該当しそうな小学校はないか」と相談もしました。いずれ彼を通じて再度スリランカを訪れる日がくることを願っています。
「達彦記」(つづく)

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