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いわきスタディーツアー3

2017年4月10日

原発を考える


 今回いわき市に初めて行きましたが、車で少し走ると火力発電所、ソーラーパネルの畑、海の彼方に風力発電のお試し風車、そして原子力発電所・・・。
 恥ずかしながら、こんなに電力一色の町とは知りませんでした。
 爆発がなければ普段の生活が続いていたはずの方々の体験をいくつも聞き、「万が一にも事故はありません」という詭弁を弄して原子力発電所を稼働させてきた罪は、到底償えるものではないというのが一番の感想です。人間は、事故が起こったときに対応できるものだけ、責任を負えるものだけを作るべきなのだと思いました。
 「広い家に大家族で住んでいたが、アパートと仮設住宅に分散するしかなかった」、「地域の帰宅がOKになっても、子供の学校の関係で避難先に住み続けることを選んだ」など、被災した方から直接お話を聞いて胸が詰まりました。
 原発事故の怖さは、家はあっても放射性物質のためにもう住めないというところです。今回、富岡市、大熊市などの帰宅困難地域までバスで連れて行って頂きました。草がぼうぼうで誰もいない校庭、国道6号線路地入り口のバリケード、除染作業員しかいない町は異様でした。そこで生活していた人たちだけが消えているのですから。「除染が済んだから」と帰宅を促されても、もう元の町ではないのです。私だったら戻れないと思います。
 同じ様に考える多くの人々に「戻らないのはそちらの勝手だから補償金は打ち切り」という国や東電の対応は事故を引き起こした側が口にして良い言葉ではないでしょう。
事故は起きないから絶対安全といっておきながら、いざ事故が起こると対応しきれない。補償は言うまでもなく、爆発してしまった建物の後処理すら考慮されていなかったなんて。汚染水を保管するタンクも作り続けるしかないなんて、ばかばかしくて笑うしかありません。
 余談ですが、外国に住む姉に荷物を送ったとき、隙間にレトルト食品や、懐かしいであろう日本のお菓子をぎゅうぎゅう詰め込みました。地球の裏側まで行ったその荷物は、一ヶ月後、そのまま送り返されてきました。「日本からの食品は受け付けられません」というのが理由でした。福島の原発事故以降、この状態が続いています。姉によると「中身に食品が入っていなくても、箱に野菜の絵でも描いてあったらそれでアウト」だそうです。
世界の認識はそういうことなのです。チェルノブイリという地名を聞いて私たちが思い浮かべるイメージ、それが即ち福島、ひいては日本なのです。
 それでもまだ原発再稼働を推し進める理由が理解できません。
 一般的なメディアの報道からの情報からの知識程度で参加したスタディーツアー、目の当たりにした現実、伺ったお話がヘビー過ぎて受け止めきれていないのが実情です。平成28年1月28日(森部陽子記)

いわきスタディーツアー2

2017年3月21日

いわき「とりあえず置場」


夕食をとりながら積もる話をした後、彼から出てきたのが、今回の事故によって宿泊客が来なくなり、従業員の多くに旅館をやめてもらうしか無かったという話でした。当時120人ほどいた従業員が現在は25名だそうです。本当に辛い思いをしたと言っていました。従業員もまた被災者で、それぞれが大変な生活をしなければいけない時に、支えてあげられなかったことが何よりも辛かったと。
また「避難所で手伝いをしていた時に、障がいをもつお子さんのいる家族が避難所にいられなくなってしまった」という話も聞きました。避難生活で疲れがたまっていく中、子どもが騒いでしまい、余裕のなくなったお互いがギスギスしてきて、陰口をたたかれ、怒られ、結局は追い出されてしまったそうです。そこで、彼は郡山で一軒家を借り上げ、その家族を避難させたそうです。現在彼はそういった障がいをもつお子さんやその家族を支援するNPO法人を立ち上げ、支援しています。
いわき市内では至るところで黒や緑のシートがかぶった除染土の仮置場がありました。しかし仮置場といっても、今後どのように処分されるのかは決まっていない、ただの「とりあえず置場」です。また、地震・津波で倒壊し、放射線で汚染された家屋のがれきを焼却し、その灰を山に埋めて、その上からセメントでふさぎ、覆っている作業も目にしました。
これだけの被害があり、原発が安全ではないと分かった上、最終的な処分法も定まっていないのに、原発の再稼働なんてあり得ないと強く思います。
帰り道、いわき南部にある勿来(なこそ)火力発電所も見学しました。入り口に1トンの石炭の塊が置いてありました。軽自動車一台くらいの大きさです。一日に燃焼させる石炭の量が一万トン以上だそうで、地球のどこかで一日に軽自動車1万台分の穴を開けているということに驚きました。また技術が進んでいるとはいえ少なからずCO2を排出するため、温暖化に影響があるとのこと。日本ではもう石炭を取り尽くしてしまったから、海外からの輸入に頼っているのかと思っていたら、まだまだ日本には(常磐地区にも)石炭があるが採算を考えると輸入する方が安いからだということも聞きました。風力や水力による発電は少なく、それだけでは全く使用電力をまかなえないこと、ソーラーパネルもそれを生産すること事態、またそれをいつか処分することを考えると、決して地球に優しくないことなど、多くのことを学ぶことができました。
常磐道の脇には、高い鉄塔がならび関東まで送電線が続いていました。すべて関東で使われるためのものです。東北地方の福島(原子力・火力)で発電された電力は福島ではほとんど使用されません。自分たちが使うことのない電力を生産する施設のせいで、避難させられ大変な生活を強いられている福島の人々からみれば、何も考えずに無駄に電気を浪費する私たちの姿がどのように映っているのだろう。行きにも見たはずのこの景色を、自分がこのように捉えたことに、このスタディーツアーの意義を感じました。
平成29年1月24日 森部達彦記
 

卒業試合

2017年3月11日

東日本大震災7回忌

東日本大震災により尊い命を亡くされた方々のご冥福をご祈念いたします。
また被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

今日はサッカー部の卒業試合がありました。2時46分にみんなで黙祷いたしました。

いわきスタディーツアー 

2017年2月25日

福島県いわき市に行ってきました

 

私の会社員時代の友人が、元禄時代から続くいわき湯本の旅館を継いでおり、彼との25年ぶりの再会がひとつの目的でした。
二年前に私の妻が、友人(本納寺科学実験教室講師の小森先生)の勧めで、被災地いわきの現状を巡るスタディーツアーに参加しました。そのときの宿泊先がたまたま彼の旅館で、話をしているうちに「かつての同僚」と判明したのです。妻から原発事故から6年経った今でも現地はとても大変な状況だと聞き、激励するために小森先生も含め7名でいわきに向かったというわけです。
現地を初めて訪れてまず思ったことが風評被害についてです。
線量計を持って移動していたのですが、いわき市の放射線量は0.06マイクロシーベルトでした。本納寺のある豊島区と同じ数値です。福島というだけですべてを「危険」と考えていた無知を申し訳ないと思いました。こういうニュースも報道で目にしていたはずなのに「福島は危険、福島は怖い」という意識のフィルターがかかっていたのでしょうか。都合の悪いことは報道されないことが多く、開示されている数値が果たして本当に正しいのかと疑心暗鬼になっていたこともあります。わざわざ危険な地域に行く、危険なものを食べるという選択はしませんが、「福島」というひとくくりで考えてはいけないということを現地に行って実感しました。
ただ、いわき市から南相馬市までの福島浜通りの帰還困難区域や居住制限区域などでは、まだかなり高い線量を示しており、線量計のピーピーという警戒音が鳴りっぱなしだったのも事実です。今回のスタディーツアーでは、第一原発から1.5キロ地点で6.41マイクロシーベルトでした(この地点をただ通り過ぎる際に浴びる放射線量は、海外旅行を900回したものと同じくらいだそうです)。
(つづく)



一番人気はネギ醤油味

2017年2月1日

28年もちつきレポート

昨年末のもちつきは、平日にもかかわらず大勢の人(約200名)で賑わいました。
師走に入り、ノロウイルスなどによる感染性胃腸炎の全国的な流行を受け、巷で「もちつき」を自粛する自治体が多いというニュースが飛び交い、関連イベントの中止が相次ぐ中での開催とあって、参加者が少ないのではと思っていたところ、今年もお檀家さんを始め、娘の友人の中高生、近所の小学生、親子連れもたくさん参加してくれました。
からみ餅の一番人気はネギ醤油味。地味に大根おろしも人気でした。
住職は腰痛が治らず、昨年同様、今年も全くの戦力外。
石屋さん、出入りの葬儀社さん、建設会社さん・寺報の印刷編集担当者さんらが準備から片付けまでしてくださり、大変助かりました。またいつも信行会や写経会に参加してくださっている檀信徒の方々もお手伝いしてくださり、円滑に安全に開催することができました。ありがとうございました。当日集まった募金34,857円は、熊本県に寄付いたしました。

Steelpan Live

2017年1月5日

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

お会式奉納演奏—スティールパン

今年のお会式は朝から結構な雨が降り、御報恩法要の参列者数が心配でしたが、夕方には雨も上がり40人以上の方がおみえになりました。 宗祖日蓮大聖人第735遠忌御報恩法要が厳修され、法要後はスティールパンの奉納演奏がありました。

SannyPanny(サニーパニー)の皆さんによるスティールパン・ライブが始まると、本堂はたちまちカリブの世界へ。ドラム缶から繰り出される楽しい音は迫力があって、音色に吸い寄せられたご近所さんや外国の方、たまたま通りかかった方などが境内に集まってきました。「中へどうぞ」とご案内していたら、本堂に用意していた席があっという間に満席になりました。

カリブ感いっぱいの曲から、誰もが知っているディズニーや映画音楽、さらには唱歌まで、様々な曲を披露してくださり、最後はみんなもテンションがあがり、アンコールは総立ちに!

小学生からお年寄りまで、誰もが楽しめた素敵なライブでした。

 

 

12/28 おもちつき

2016年12月9日

おもちつき大会のお知らせ

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日時122810時~13時頃まで

毎年恒例「おもちつき大会」のごあんない!
今回も大人気の「ミニ鏡餅コーナー」があります。いつも、これで体中真っ白けになるお子さんも少なくありませんので、エプロンをご持参頂いた方が良いかもしれません。
参加自由ですので、お子さん、お孫さん、ご親戚、お友達などお誘い合わせの上お越し下さい。会費はありませんが、お気持ちは熊本に募金してください。

 

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※昔、「餅をつく」といえば、たんに食べ物をつくるという以上に「祝いごと」としての「心の行事」すなわち宗教的行事であったはずです。これからの子供たちに、ぜひ体験してもらいたいと願っております。

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レース編み

2016年11月20日

お会式で展示

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現在、福岡県にお住まいで、当山の檀家である水嶋慶子さんがお墓のご相談にいらした際に、すばらしいレース編みを下さいました。
様々な柄があり、またどれも、とても細かいので「すごく時間がかかるのはないでしょうか?」とお伺いしたところ、「そうでもないのよ、この小さいので1日くらい」と仰っていました。あの細かい作業を1日って長いと思うのですが、、、
このレース編みはお会式の時の書道展の中で一緒に展示いたしました。

In Biwako

2016年11月1日

琵琶湖団体参拝旅行

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 この度の団体参拝旅行では、滋賀エリアを訪ねました。まずは豊臣秀次を弔った瑞龍寺を参拝。ロープウェイで琵琶湖を見下ろしながら気分良く山をあがったところ、お寺はその先の急な石段の上にあると聞き、一同気合いを入れて登りました。ここは日蓮宗唯一の門跡寺院だそうで、特別な作りの参拝の間等が拝見できました。
 続いて見塔寺へ。彦根港から一日一便しか出ていない船で渡る無人島、多景島にあるお寺です。ここもまた、船着き場から急な石段を登った先に釈迦堂があり、頑張ってお参りしました。船の滞在時間が30分しかないので、お開帳後は大急ぎで、島の端にある「南無妙法蓮華経」を彫りつけた大きな岩を見に行き、島を後にしました。
 最高齢が94才、足の悪い方も多い我々の団体ですが、夜も元気に食事の後のカラオケを楽しみ、温泉に入って一日目終了。
 天気予報で「暴風雨」と表示されていた二日目ですが、きれいな朝焼けを見ながらの朝風呂からスタートできました。比叡山にある横川の定光院へ。ここは、若き日の日蓮聖人が勉学に励まれた所で、21才から12年間、「論湿寒貧(法論の日々、多湿な気候、厳しい寒さ、ひもじい思い)」の中で日蓮聖人が御修行なさったところです。大きな日蓮聖人像も建っていました。
 その後、延暦寺世界遺産の根本中堂を参拝したときには「おとめちゃんたちはどこからおいでなさった?」とお坊さんが話しかけてきて下さり、説明を聞くことができました。精進料理の昼食も美味しく頂いて比叡山を下りました。広大な敷地の一部しかお参りできなかったので、またの機会にゆっくり行ってみたい所です。
 最後に米原駅近くの龍王寺(団参に数回ご参加の福山上人の御自坊…福山上人は今回の旅ルートも組み立てて下さいました)をお参りして、帰路につきました。心配していた雨にもほとんど降られず、雨用ブーツを履いて参加した私は拍子抜けでしたが、これも、皆さんの心掛けの賜物だと思います。とにかく事故もなく無事に東京駅に着いたときにはホっとしました。(陽子記)

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28年お会式のご案内

2016年10月3日

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オリジナル絵の具2

2016年9月19日

「美術と地学(地球科学)」子供科学実験教室レポート2

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○三田一雄先生より
実験教室はいかがでしたか。普段は出来ないことを体験し、発見や工夫をしてもらいたいと思っていました。参加してくれた皆さんが一所懸命とりくんでくれたので、予想以上に良いものになったと思います。絵は大切にしてくれると嬉しいです。段取りが上手く行かなかったことはごめんなさい。また皆さんとお会いすることを楽しみにしております。
○小森次郎先生より
今年の夏休み子供科学実験教室のテーマは「岩絵の具」でした。子供たち自身の手で石や泥から絵の具を作り、最後には絵を描くというものです。参加された皆さん、お楽しみいただけましたでしょうか。乳鉢を使ってグリグリと石をすりつぶす感触や、石器時代の壁画を残した古代人の気持ちを「感じ」たり、完成した絵の具と原石の色が違うことや、自然の石から派手な色はなかなか作れないということなどを「知って」もらえたならば私たちもうれしいです。
今回の絵の具の材料の他にも世の中には様々な石があります。さらに石だけではなく生物からも絵の具は作られます。そのような材料を使ってこれからも絵の具作りを試してみてはどうでしょうか。その時は、完成した絵の具の色合いの他に、潰す時の手応えや匂い、乳鉢の汚れ方など、なぜそうなったのかという疑問を抱いてもらい、その理由を調べてもらえれば、それこそ美術と科学のコラボになるはずです。ぜひぜひ挑戦を!
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オリジナル絵の具

2016年9月6日

「美術と地学(地球科学)」子供科学実験教室レポート

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◎ 絵の具が自分で作れて嬉しかった(5年女子)

◎ 石を割るところから自分でやってみたかった(2年男子)

◎ 作った絵の具で絵を描いたのが楽しかった(4年男子)

◎ 思ったよりちゃんとした絵の具ができて驚きました(保護者)

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今年の本納寺子供科学実験教室は「美術と地学(地球科学)のコラボ」という新鮮な切り口。小学生13人が参加してくれました。
石の成り立ちや、壁画の画像などを見て、説明を聞いたあと、まずは市販の絵の具を顕微鏡で観察。 小さいツブツブからできていることを見ました。
ここで先生から「絵の具がなかったらなにで色を作る?」と質問が。
子供達は「血」「わら」「何か色のあるものをつぶす」など思い思いの考えを出します。
なにを細かくしていけばいいかなー?
土!石!
ということで、多摩川で拾ってきたという赤みや青みがかった石を先生がハンマーで砕き、子供たちがそれを乳鉢でひたすらすりつぶし細かくしていきました。
沖縄国頭マージ、赤色チャートなど専門用語も飛び交う本格的な実験です。 できあがった粉にアートノリを混ぜると絵の具が完成! ほのかな緑、こげ茶、きれいな黄色など、きつくない優しい色ができあがり、 早速自分たちで作った絵の具で絵を描きました。 お土産に「家でも同じ実験ができるように」と、さまざまな色の石や、石を砕くときに使う保護メガネ、乳鉢をもらって、みんな元気に解散しました。低学年の子供たちも3時間楽しく頑張りました!
毎回、興味深い内容で、大人の見学者も多い子供科学実験教室。来年も楽しみです。

 

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サッカークリニック

2016年8月17日

サッカークリニック-稲葉洸太郎選手-

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何度も寺報やblogでご紹介しています当山檀信徒のフットサル日本代表選手、稲葉洸太郎選手が、シーズン中にもかかわらず、住職がコーチをしているサッカー部で指導をしてくれました。 生徒は緊張気味で声をかけてくださる稲葉コーチに、もじもじした対応でしたが、プレーを褒めてもらったり、一緒にトレーニングをしているうちに打ち解けて、充実したサッカークリニックになりました。そして、日本代表選手に直接教えを受けたことはとてもよい思い出になったことでしょう。

稲葉洸太郎オフィシャルサイト http://pakila.jp/inaba/ inaba1

 

お盆の夕方

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お盆法要の準備をしていたら、突然の豪雨。激しい雨音、煙る景色が面白くて、本堂の中から写しました。

 

蓮華が咲きました

2016年8月1日

池に蓮華が咲きました

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これは檀信徒の片桐良和さんが丹精に育てていたものです。残念ながら良和さんは本年急逝してしまって、育てられなくなってしまい、ご家族から蓮華を寄贈したいというお申し出がありました。当山の池はそのままにしておく(放置?)のを原則としているので、何の手入れもできませんが、それでも良ければということでお預かりし、鉢をそのまま池に入れておいたところ、まさにお盆にあわせたかのごとく、見事な花を咲かせました。奇しくもご本人の新盆法要が厳修された日でした。
またその鉢のなかで同様に育てていたメダカも放流されました。白いメダカやオレンジ色、さらには透明で尾っぽのところが青く光っているメダカもいます。
覗いてみると小さなメダカたちが泳いでいるので、自然に孵化して増えているようです。
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台湾からのお客様

2016年7月10日

法鼓山中華仏学研究所

台湾の法鼓山中華仏学研究所の方々が来寺されました。
法鼓山創立者の聖厳法師(1930-2009)は、先代と親交があり、客殿完成の時にもたくさんの信者さんと共においで下さいました。

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このたび聖厳法師の文物史料デジタルアーカイブおよび理念普及計画というプロジェクトの基に、ご訪問させていただくことができ、心より厚く御礼申し上げます。
聖厳師父が留学中大変お世話になりました本納寺に、プロジェクトのメンバーたちが自ら訪問いたすことができましたこと、とても貴重な経験となり、史料収集、普及計画にとてもプラスになりました。
今後も本納寺におかれましては、ますますご隆昌のこととお祈り申し上げます。
中華仏学研究所所長 釈果暉

※以前本納寺前のアパートに住み、立正大学に留学していた台湾僧の釈果暉(洪鴻榮)師が所長になっていました。

法鼓山
法鼓山の創立者の聖厳法師は
「法鼓山には大きな資金力はない、しかしその影響力は深遠で広大である。これは私達の特色だ。法鼓山は社会のために良好な気風をもたらし、有益な修行方法を提供する。これは私達が貢献できることだ。」と話されている。 僧団は1980年に創立された。
設立の主旨は仏教教団を組織し、青年僧の育成、法鼓山の理念を教え広め、よってこの世の浄土の理想を実現することにある。
この組織の主要な活動は研究と開発、各種座禅修行の推進、仏学教育、思いやりの心の教育と普及などである。法鼓山の僧団は聖厳法師を精神的な指導者とし、その創立は1977年に聖厳法師が米国から台湾に帰国し、中華仏教文化館と農禅寺を引き継いだ時に始まる。仏法を広め、将来三宝の住職となる青年僧の人材育成のために、農禅寺は1979年8月に「三学研修院」として成立した。成員は当初10人であった。その後、僧俗四衆の成員が増加した。「法鼓山世界仏教教育園区」の竣工によって、現在この中心組織も法鼓山に移った。聖厳法師は2009年に御遷化されました。
「法鼓」この言葉は、仏典中しばしば現われる言葉である。
たとえば《妙法蓮華経》では「惟願天人尊,轉無上法輪,撃於大法鼓,而吹大法螺,普及大法雨,度無量衆生,我等咸歸請,當演深遠音。」で、「撃大法鼓」とは、仏法の太鼓の響きは人々の心を浄化し、人々の心に安楽と平静をもたらすのである。法鼓山の地理的な形状は、太鼓が横たえられたようで、経典の比喩に基づき鼓に似た形から「法鼓山」と命名された。
法鼓山の宝物に「法華の鐘」がある。2006年12月23日に、法鼓山鐘楼落成記念式典が行われた。法華の鐘の材質は青銅の鋳造で、重量254.5トン、高さ4.5メートル、直径2.6 メートル、最も厚い箇所は29.6センチメートルで、唐様式の梵鐘である。2004年5月に日本の「老子株式会社」に鋳造を依頼し、2005年11月に完成した。「法華の鐘」には梵鐘の内側外側に《妙法蓮華経》1部、69,636文字と、《大悲呪》1巻、424文字が鋳込まれ、「多宝塔と双仏陀坐像」が描かれている。
〈ウィキペディアより抜粋〉

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