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IN MYANMER 3

2014年6月4日

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いよいよ今回の旅のメインともいえるザガインのマイトリースクールに到着した。
先祖や親がハンセン病であるということから、家族ごと隔離され、差別にあっている人達に最低限の教育をと、NPO法人T・M良薬センターが建立した小学校である。
子供達は全くな健常者であるにもかかわらず、差別をうけ、以前はまともな教育が受けられなかったそうだ。ボロボロの藁葺き屋根で、雨風もしのげないような校舎。雨期があるこの国で、どれだけ過酷な状況だったことか。
それでも学校の通える子供はいいほうで、通学できない子供がほどんどだったそうである。
現在は、日本の学校とまではいかないが、立派な校舎が建ち、机や椅子、黒板なども揃っている。

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以前、そのT・M良薬センターのセンター長から、日蓮宗のカンボジアスタディーツアーに同行してもらえないかというお誘いを頂いたことがあった。子供達と一緒にサッカーをしてほしいという依頼だった。私がやってきたサッカーが少しでも役に立つのならと承諾したが、そのスタディーツアーの日程は学校の修復等で予定が合わないという理由で、残念ながら実現しなかった。
「それなら個別にスタディーツアーを企画しましょう」という別の依頼がきて、サッカーボールやサッカーゴール、ユニフォーム等を支援して、楽しんで喜んでもらおうということになったのである。
ミャンマーはサッカーが大好きな国である。
私達が到着すると、みんな笑顔で、手を振って迎えてくれた。
大教室に集まった子供達を前に、寄贈式が開かれた。さすが仏教国、私の挨拶をみんな合掌して聞いてくれる。
「私達はみなさんとお友達になりたくて来ました。サッカーは、ボールひとつで、言葉が通じなくても、年が違っても、性別が違っても、人を結びつけることができます」等と緊張しながらお話しした。
子供達の発育と幸福を願いご祈祷を厳修して、式は終了。

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いよいよグランドでサッカーの時間である。子供達は支給されたユニフォームとスパイクを身につけ登場。父兄なのか近所の方なのか、多くのギャラリーがいたせいか、胸を張って誇らしげな登場で、かわいい。キックオフすると目を輝かせ、みんな一心にボールを追いかけ始めた。いいプレーをした子に、ジェスチャーで褒めると、照れくさそうにしながらも、嬉しくて仕方がないという笑顔を返してくる。
実は「今回サッカーボールの支援をすると聞いたけど、本当に必要とするものはボールではないでしょ」という声もあった。もちろん生活のための物資の支援も必要で大切である。しかし、生活や勉学の余暇にする遊びや楽しみを味わう喜びは子供達にとっては貴重な機会に違いない。そしてそれは一緒にサッカーをしたあの子供達の満面の笑みが証明してくれた。
「悪い天気」で晴天、ピッチレベルでは40℃はあるのではないかという暑さの上、芝生(雑草)や砂利でボコボコのピッチ。日本の子供達はなんて恵まれているのだろうと改めて感じた時間でもあった。
ピッチの外では、保育士さんがサッカーをしていないたくさんの子供達に囲まれていた。折り紙をして遊んでいるようだが、人垣がすごくてどこにいるのか見えないほどである。どうやって折るの?このあとどうしたらいいの?と殺到して大賑わいであった。(達彦記)〈つづく〉

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2014年5月2日

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今回のミャンマーツアーの目的は、現地の保育園・小学校を訪問し、紙おむつ・粉ミルクなどの食料品・医薬品や教材・備品などの支援をし、一緒に遊んで楽しんでもらうことである。そんなわけで、いつもの仲間に加えて、M保育園の保育士の方々と合同での訪問となった。
最初に訪れたのは、ヤンゴンの孤児院。施設名を聞いたのだが、ヤンゴン2日目の僕には覚えられず、看板を見てもビルマ文字だったので、全く解らなかった。
中に入ると、ホールにはおもちゃやぬいぐるみがいっぱいで、1歳から3歳くらいの子供達がぞろぞろと30人くらいホールに出てきてくれた。顔に「タナカ」とよばれる白っぽい粉というかファンデーションのようなものを塗っている。みんな人懐こくてかわいい。「遊んでー」「だっこしてー」と寄ってくる。あとで聞いたのだが、子供達はおむつをしておらず、おもらししたら、着替えればいいということだったようだ。だっこしている最中おもらしする子がいなくてよかった。
M保育園の先生方は私達がホールで幼い子供達と遊んでいる間、奥の子供達の部屋へ行き、もう少し大きい子供達と用意してきた折り紙や手遊びをしたりして、過ごしたそうだ。言葉が通じなくてもコミュニケーションがとれて、楽しんでもらえたことに手応えを感じていた。きっと先生方にとっても貴重ですばらしい体験だったことであろう。
この孤児院は職員よりもボランティアの方が大勢いて、子供達はたくさんの人に囲まれていた。この施設に入っている子供達はかなり恵まれている方なのだろう。

次にルンビニーアカデミーという保育園を訪問。ここは少し裕福層向けの保育園である。小さな教室で子供達と対面。早速、M保育園の先生方が折り紙や紙風船を取り出し遊び始めるが、子供達は緊張気味。そこで紙風船をぽーんぽーんとしながら渡してみると、グシャっとする。また膨らまして渡すと、またグシャ。つぶすのが楽しいらしい。そんなことをしているうちに段々と打ち解けてなごやかムードに。
2階に上がって案内された教室では英語の授業をしていた。就学前の年齢にもかかわらず、かなり本格的な内容である。これまでのミャンマーは貧しく、ろくに教育を受けられなかったとのことだが、少しずつ発展してきた現在はこのように教育に力を注げるようになっている。
M保育園一行の反省のつぶやき「小さい子に、紙風船はダメだね」。

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マンダレーに移動してからの夕食は、ミャンマー女子サッカーのナショナルチーム代表K監督とご一緒することができた。現在のミャンマー代表監督は日本人なのである。言葉の通じない国でサッカーを指導するにあたってのエピソードや文化の違いによる苦労話は、サッカー好きの私にはとても面白く、興味深いものだった。翌朝、練習があるということで、出来上がったばかりのスタジアムに同行し、練習を視察させてもらえた。なかなかできない体験で嬉しい限りである。

この日は雲ひとつない晴天。いい気分でガイドさんに「今日はいい天気ですね」と言うと「ミャンマーでは太陽がでていると猛暑になるので、曇りの日をいい天気というのです。今日は悪い天気です」と返された。
ミャンマーの女性・子供達が顔に塗っている「タナカ」とは、ミカン科のタナカの木(小髙木)の樹皮の部分をすりおろしたもので、水で溶いて顔につける。日焼け防止や保湿・殺菌・肌荒れ予防などの効果があるとされていて、塗ってしばらくするとパリパリに乾いてくる。さらさらとしていて、ベビーパウダーのような触り心地の上、柑橘系なので清涼感があり、香りもいい。暑いミャンマーの気候にはぴったりである。

スタジアムを離れ、マンダレーからザガインへ向かう。途中マンダレーから車で一時間くらいの丘の上に日本人墓地がある。丘の上まではバスでは上がれず、トラックの荷台(ミャンマーのバス?)に乗り換えてガタガタ揺られながら昇っていく。丘の上は街が一望できてすばらしい景色である。
M保育園の保育士の方の曽祖父が戦時中ミャンマーで亡くなられたそうで、「ミャンマーに行くと言ったら祖母がとても喜んでいました」とのこと。日本人慰霊碑に戦没者の名前が刻まれていたので、みんなでひいおじいさんのお名前を探してみたが、残念ながら見つからなかった。慰霊碑前で読経し、謹んでご回向した。
「有難うございます。祖母に伝えます。」と保育士さんに感謝され恐縮。日本から遠く離れたこの地まで来た甲斐があったというものだ。(達彦記)〈つづく〉

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IN MYANMER

2014年4月10日

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ここ数年、仏教支援や仏教研修のためアジアツアーに出かけている。今回はミャンマーへ。
シンガポール経由でミャンマーヤンゴンに到着。アライバルビザの手続に時間がかかるわ、荷物を受け取ればいきなりスーツケースの鍵が壊れているわで、空港で既に前途多難な予感である。
建物の外に出ると、暑い!乾季で35℃くらいあるという。町は思ったより都会で、緑が多いが車も多く、渋滞も・・・。

昔はビルマとよばれていたミャンマーを少し紹介すると・・・、
19世紀後半に、イギリスによる植民地支配が始まる。20世紀中期、アウンサンの指揮により ビルマ連邦として1948年に独立を果たすが、アウンサンは暗殺され、後継者ウー・ヌーが初代首相に就任。その後少数民族勢力との武力闘争の過程で、軍事政権による独裁体制が続くことになった。国民への軍事政権による弾圧が続き、その軍政主導政治を非難し政治の民主化を求める欧米から経済制裁を受けるなどして半鎖国状態となり、経済が著しく停滞。20世紀後半から、アウンサンの長女であるアウンサン・スーチーを指導者とする民主化運動が台頭し、ようやく2011年軍政から民主化された。国内の政治的事情も改善の動きが見られたことで、米国やアジア各国間の急速な関係改善が進み、欧米日企業のミャンマー進出活動が活発化した。アジア最後の経済未開拓市場として 今後の発展が最も期待される国となっており、日本からも多数の企業が進出している。

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なにはともあれ、と、まずは巨大な寝釈迦牟尼仏を参拝。全長70メートル高さ17メートルもあり、南の仏像らしく目がくりくりと大きい。さすが90%が仏教徒という国の規模で到着早々圧倒される。
そのあとは早速初めての食事。とてもおいしかったが、なんだか高級な店構え。一食目なのでツアー会社が気を遣ってくれたのだろうか。 ミャンマーはお米の国だ。ポピュラーな料理はミャンマーカレー。カレーといっても日本やインドのカレーとは味もスタイルも異なり、スパイスのきいた煮込みといったほうがしっくりくる感じ。それをパラパラなご飯の上にかけて食べるのである。そしてもう一つ有名なのが国民的な朝食といわれる、モヒンガー。ソーメンに似た米麺を、ナマズだしの、もったりしたスープに入れて食べる。ホテルの朝食で口にしたが、これも美味しかった。
ヤンゴンで最も大きく賑やかなアウンサンマーケットでロンヂー(ミャンマーの民俗衣装)とミャンマーサンダルを購入した。
ロンヂーとは巻きスカートのような布で、軍人、警察官など一部の少数を除いて老若男女が毎日の生活に着用している。他の東南アジア各国で洋服文化が広まる中、頑なに伝統を保っているミャンマーでは、都市だろうが田舎だろうがみんなロンジーをはいていた。
この2点は大変心地よくミャンマー滞在中は、私達もずっとロンヂーにサンダルスタイルだった。

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夕方からはヤンゴン最大の聖地 シュエダコォン・パゴタヘ参拝。仏塔は金色に輝き、中にはお釈迦様の聖髪8本が祀られているといわれている。 昼間は石床の照り返しで40℃以上になるためお参りは困難とのことで、私達は日没前にお参りしたのだが、床はまだ熱を持っていて、ミャンマーではお寺に訪れるときには素足でお参りしなければいけないので、足裏が暖かかった。
境内の東西南北にはそれぞれにお堂があり仏陀像がそびえている。後光が電光なのが面白い。
仏塔の外周にはところどころ小さな祭壇があり、大勢の人で賑わっていた。ミャンマーの伝統暦「八曜日」の守護像である。
ミャンマーの人々にとって「八曜日」は生活の一部なのだそうだ。「何日に生まれたか」より「何曜日に生まれたか」が重要で、各曜日は方位・星・動物もあらわし、当該の方位に祭壇が据えられていて、その曜日に生まれた人の人生を守護してくれるといわれている。西暦の七曜制と違い、水曜日が午前と午後に分けられて「八曜日」となるとのこと。
祭壇の前では、それぞれ、その曜日生まれの人が熱心にお参りしている。私も「生まれ曜日」の土曜日の祭壇へお参りした。南西の方角で動物は龍、星は土星だった。
熱心な仏教国ミャンマーでは9割の男性が出家し、一通りの修行と教えを学び、最終的にそのうち2割が仏門に残り、僧侶となる。
象徴である仏塔(パゴタ)は国中に大小無数にあって、聖なる場所として大切にされている。ガイドさんも仕事がないときは必ずお参りにいくと言っていた。(達彦記)〈つづく〉

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九老僧再々興

2014年3月22日

『九老僧制作にあたって』

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平成25年4月のとある日。本納寺住職が私の工房へ来られ、日蓮聖人の孫弟子にあたる九人の老僧のお像=九老僧(くろうそう)の制作のお話しをいただきました。お話しを伺ってみると、本納寺の門前には『九老僧安置』と明記された大きな石塔が存在するのですが、九老僧のお像がお寺のどこを探しても見当たらないという何とも不思議な経緯でした。
さらに、九老僧に関する史料というのは皆無に等しいということでもあり、私は制作を開始する前に九老僧一人ひとりがどのような個性を持った人物であるか、また九人がそれぞれどのような関係であったかを知ることから始めなければならないと感じました。4月の終わり、住職からご紹介をいただき日蓮宗大本山池上本門寺様の霊寶殿担当安藤様をお訪ねし、そこで大変興味深いお話しを伺いました。
まず一つ目に、九老僧に関する史料及び御像はほとんど残されていないとのこと。
また二つ目に、九老僧それぞれの思想の違いもあり、一同に祀られることはなかったであろう、とのことでした。
そこで私は、今回の制作に於いては史料が少なく、それぞれの人物を実在していた時の姿で忠実に表わすのは難しく、またそれを追い求めてもあまり意味のないことと判断し、ある一つの世界を形として現せたら、という思いでお像の制作を開始いたしました。 春に育ち、夏に耐え、秋に想い、冬に考え、それを繰り返し成長し、調和状態になって行くように、九老僧一人ひとりがそれぞれの役割を持ち、ある方は春であり、ある方は夏であり、またある方は秋、冬…。そしてある方が太陽、そして月、と言ったように力(エネルギー)に差はあっても、全てが揃ってはじめて一つの世界が生まれてくるようなイメージで十体の御像(日朗上人含む)を制作いたしました。そこに、元々お祀りされておられた日蓮聖人が中心となり、一つの曼荼羅の世界が出来上がったかと思います。 平成25年10月17日「宗祖御日蓮聖人第732遠忌御報恩会」が本納寺本堂にて厳粛に執り行われました。当日、仕上がったばかりの九老僧を前に、住職が「これは気合いを入れて開眼しなくては」と仰いました。この言葉を聞いた時、私は住職の心の中に九老僧が納まってくれたのだ、とホッとしたのが正直な気持ちでした。
開式の時刻を伝える鐘が鳴り響くと、本堂にはお檀家さんや地域の方々が続々と集まってきて下さいました。私の知人や仏像彫刻教室の生徒さんたちもお祝いに駆けつけてくれ、嬉しさもひとしおでした。
法要が無事に終わり、お檀家さんが用意して下さった「すいとん」の味は忘れられないものとなりました。気のせいでしょうか。住職の娘さんが運んでくださった私のすいとんは他の方よりも多く具が入っているような気がしてなりませんでした。
今回多くの方々に御焼香をして頂き、住職をはじめ式衆の魂のこもった開眼供養を受けた九老僧の姿は、私の胸に深く刻まれることとなりました。九老僧がこれから先、多くの方々の御心に寄り添って下さることをご祈念いたします。
仏師 藤田 良夫

平成25年10月17日。この日は私にとって忘れることの出来ない日となりました。
日蓮大聖人の732遠忌の法要当日、沢山の御供え物が並べられ、煌びやかな御本堂に安置された九老僧は、すでに私たちの手を離れ、菩薩としての役割を遂行しようとしておられるかのようなお顔でした。住職に始まり、檀信徒の皆様お一人おひとりにご焼香いただき、立ち昇る煙を見上げながらふと目をやると、日蓮聖人のお顔は微笑んでいるかのようでした。法要も終盤にさしかかり、住職の木剣加持が本堂に鳴り響くと、私は肩の力が抜け、心が浄化されてゆくのを感じました。全てのものへの感謝の気持ちが溢れ、涙を止めることが出来ませんでした。
この度の九老僧制作にあたりましては、その史料の少なさゆえ各人の性質・性格的特徴からお顔の表情を推定することが難しく、最後まで「これで良いのか」という自身への問いかけが続きました。それだけにあの日、皆様に『再興された九老僧』に手を合わせ受け入れていただきましたことは、何よりも嬉しいことでした。
これから何十年、何百年先までも九老僧が檀信徒の皆様のお心に寄り添い、この雑司が谷の地を守護して下さいますよう切にお祈りいたします。
仏師 岩﨑 真理

【藤田良夫 略歴】
1922年(昭30)栃木県真岡市生まれ。1970年(昭45)仏師・渡邉貞光氏に弟子入り。1975年(昭50)独立。
◎近年の主な制作例
1995年(平7)天照大神 像高30センチ(北海道)・1995年(平7)日蓮聖人座像 像高1メートル(東京)・1997年(平9)大黒天立像 像高1メートル(京都)・2001年(平13)薬師三尊立像 像高1メートル(静岡)・2003年(平15)鬼子母神立像 像高2メートル(四国)・2008年(平20)釈迦如来座像 像高1メートル20センチ(千葉)・2009年(平21)龍神尊立像 像高1メートル50センチ(熊本)。
◎個展・受賞歴
2010年(平22)金沢・髙木糀商店にて二人展『素心仏展』開催。2012年(平24)東京・林泉寺にて二人展 『春の林泉寺展』開催。2012年(平24)一般社団法人 日本画府第五九回公募展に初入選。「浮現観音」が奨励賞受賞、及び「気付き観音」入選。2013年(平25)一般社団法人 日本画府第60回記念日府展にて「毘沙門天」、及び「気付き観音」入選。2013年(平25)横浜髙島屋および日本橋髙島屋にて二人展。平成25年3月には宮城県石巻市を訪れ、被災した方々に小さな仏様約70体を手渡す。毎週日曜日には仏像彫刻教室を開催し、地域住民を対象とした生涯学習活動を行っている。
【岩﨑真理 略歴】
1980(昭55)愛知県名古屋市生まれ。2008年(平20) 仏師・藤田良夫氏に弟子入り。2009年(平21)早稲田大学大学院教育学研究科後期博士後期課程単位取得退学。2010年(平22)聖観音立像 像高六○センチ(愛知・助正院様)
◎個展・受賞歴
2008年(平20)三愚舎ぎゃらりー『雑司が谷・鬼子母神界隈を描く展』にて「子安鬼子母神」画廊賞受賞。2008年(平20)三愚舎ぎゃらりー『雑司が谷・鬼子母神界隈を描く展Ⅱ』 にて「子安鬼子母神・文月」を特別出品。2009年(平21)一般社団法人 日本画府第五六回公募展に初出品。「子安鬼子母神」が初入選。2010年(平22)一般社団法人 日本画府第五七回公募展に「夢想観音」入選、及び新人賞受賞。2010年(平22)金沢・髙木糀商店にて二人展『素心仏展』開催。2012年(平24)東京・林泉寺にて二人展『春の林泉寺展』開催。2012年(平24)一般社団法人 日本画府第五九回公募展にて「花かんのん姉妹」入選、及びアート企画賞受賞。2013年(平25一般社団法人 日本画府第六○回記念日府展にて「いのち」入選。2013年(平25)横浜髙島屋および日本橋髙島屋にて二人展。平成25年3月には師匠の藤田と共に宮城県石巻市を訪れ、被災した方々に小さな仏様約70体を手渡す。 

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九老僧再々興

2014年3月4日

九老僧安置

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当山門前左側の石碑に「九老僧安置」と刻まれております。
寶永5(1708)年5月18日 第5世日猷上人の代に、従五位下中山備前守丹治信敏の願により勧請され、その後寶歴9(1759)年9月19日、第11世日圓代 施主中山備前守丹治宗信の寄進によって再興されています。石碑は寶曆三(1753)年十二月に造立されました。
これらのことは、雑司が谷周辺の郷土史『若葉の梢』『櫨楓(ろふう )』の記述にて確認できます。先々代兜木正亨師が編集した『新編若葉の梢』(昭和33年5月15日発行)にも「本納寺に九老僧安置」と記述されているのですが、どこにも見当たりませんでした。どうして無いのかも、いつまであったかのかも不明です。
九老僧というのは、日蓮聖人の直弟子日朗上人の高弟9人のことです。 勧請された時の朗門とのつながりも、どうしてここ本納寺に九老僧なのかも、わかっていません。
しかし、以前、九老僧が当山に安置されており、檀信徒を御守護してくださっていたことは間違いありません。
この度、平成25年度の新盆志納により九老僧を勧請しました。
九老僧が、再々興されたわけです。木像製作は地元雑司が谷にある平安堂の佛師 藤田良夫師と岩﨑真理師にお願いしました。
これから先の皆様を御守護くださることでしょう。

九老僧とは日蓮聖人の直弟子日朗上人の高弟九人の総称で、後の教団に大きな影響を与えた方々です。そのため、古来宗門では「朗門の九鳳」、または「九老僧」と称しています。
・肥後阿闍梨日像上人・大教阿闍梨日輪上人・大法阿闍梨日善上人・大円阿闍梨日典上人(日伝とも)・大前阿闍梨日範上人・摩訶一房日印上人・大乗阿闍梨日澄上人・妙音阿闍梨日行上人・越中阿闍梨朗慶上人

第10弾 蓮の花

2014年2月12日

「For Kids 10」

とうとう第10弾になりました。
いつもたくさんの方に読んでいただけて光栄です。
ご感想をお待ちしております。myo-eizan@honoji.or.jp

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年末 12月28日 おもちつき大会

2014年1月19日

恒例 おもちつき25年

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昨年末のもちつき大会は、仕事納め後の土曜日だったせいか、例年より多くの参加者で大盛況でした。お父さんの出動率も高く、搗き手がたくさんあって助かりました。また信行会や写経会に参加してくださっている方々がお手伝いしてくださり、円滑に安全に開催することができました。ありがとうございました。
またこれからもちつき大会を控えている小学校の役員の方々や新たにもちつき大会を始めようと計画中の寺院のお上人も視察・体験においでくださいました。視察・体験というより、すっかりお手伝いしていただくことになってしまって恐縮、、、。
当日集まった募金30,935円は、日蓮宗東京都西部社会教化事業協会を通じてアーユス仏教国際協力ネットワークに寄付いたしました。

「児童合唱コンサート」

2014年1月1日

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

「児童合唱コンサート」 

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昨年のお会式奉納公演は、こどもの城児童合唱団のコンサートでした。仏讃歌「蓮の花」を歌いながらの入場で始まり、唱歌メドレー、上を向いて歩こう他、40分以上にわたり元気いっぱいの歌声が本堂に響きました。
「間近で合唱が聴けて迫力があった」「感動して涙が出た」「この合唱団の公演をまた聴きに行きたい」「みんなが楽しそうに歌うのが何より素晴らしい」など、たくさんの感想を頂きました。
指揮、指導の吉村温子先生からも「大切なお会式で歌わせて頂き子供達にとっても素晴らしい経験になりました。これからも笑顔で進んで行きます。」とお礼のお言葉が届きました。
コンサート後ふるまわれたすいとんを食べ終わる頃には、ちょうど鬼子母神に万灯が入ってきて町も大盛り上がり。みなさんお祭りを楽しんでお帰りになったようです。

今年もやってきた「おもちつき大会」!

2013年12月4日

おもちつき大会(25年)のお知らせ

日時122810時~13時頃まで

毎年恒例「おもちつき大会」のごあんない!
今回も大人気の「ミニ鏡餅コーナー」があります。
参加自由ですので、お子さん、お孫さん、ご親戚、お友達などお誘い合わせの上お越し下さい。

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昔、「餅をつく」といえば、たんに食べ物をつくるという以上に「祝いごと」としての「心の行事」すなわち宗教的行事であったはずです。これからの子供たちに、ぜひ体験してもらいたいと願っております。

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本納寺団体参拝旅行

2013年11月11日

房州団参紀行

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初めて団体参拝に参加して 宮川照正

7月の信行会の帰りに、信行会参加の仲間から「9月3日・4日に本納寺の団体参拝旅行で千葉の鏡忍寺、誕生寺などを参詣するのでご一緒しませんか?」と誘われた。何か都合があったのだが思い出せない。カレンダーにも予定を書き込んで居ないので、参詣に連れて行って頂く事にした。
当日第一集合場所は本納寺横の線路際。三三五五集まり、第二集合場所の池袋東口へ。皆様マナーのよい事、池袋駅前を予定より少し早く出発。護国寺から高速道路に乗り、アクアライン経由で木更津へ向かう。海ホタルで小休止。展望台での景色は360度のパノラマ。とても綺麗なので、その光景を数枚カメラに収めた。
第一目的地の鏡忍寺へ到着すると、既に駐車場には東京西部地区寺院のバスが勢揃いしていて、本納寺は8号車に指定されていた。用意して頂いた本納寺の輪袈裟を着用し全員参列。小松原法難750年に合わせ改装なった祖師堂には250人にもなった由、9月にも拘わらず大勢の熱気で汗が胸元迄つたって来るのがわかるほどの暑さ、扇子や団扇では間に合わず。正装のお上人はさぞ暑さも一入であろうと愚見した次第。荘厳のうちに法要は終わった。
また法要の後、小松原鏡忍寺縁起を語られたお上人の名調子は、講談でもお聞きして居る様な心持ち、日蓮聖人を助けんがため、千年槙の木に降神された鬼子母神様のお話など、場所柄も弁えず暫し聞き惚れて出来うればテープに吹き込んで置きたい程であった。
刀剣で切られ血の付いた布(衣)など、当時の貴重な数々の品も見せて頂く事が出来、幸せでした。凡夫の身、思う様に書き顕すことが出来ぬのが残念である。
第二目的地の誕生寺には本納寺が真っ先に出発。誕生寺前のホテルにて昼食後、徒歩にて誕生寺に。門を潜れば両側に石燈籠が林立しており壮観である。本堂は平成3年に建立されたそうで、堂内を見上げれば格天井になっており、石川響画伯による植物・花の絵が82枚。霊山浄土とは此の様な所であろうかと、つい見とれて仕舞う程の素晴らしさであった。客殿は宮家の接待所にもなるという程の総桧木造りで、回廊を通り拝観することが出来る。格式のある建物は素人でも覗い知ることが出来た。一般観光客には此の様な処迄見せて頂けないのではないだろうか。
ホテルは海に面し、8階の部屋からの眺望は太平洋が一望できる。屋上にある大浴場で日中の汗を、海を見ながら流し、夕食まで暫し雑談タイム。六時少し前、房総半島の山の彼方に茜色の夕日が落ちていき、さながらサンセット鯛の浦と云うところであった。次の日の予報はよくなかったが、我々に遠慮したのか厚い雲も風に流され、夕焼けを堪能することが出来た。
次の日は4時に起床したが、雨模様のためご来光は諦め、5時15分に清澄寺へ向かって出発。降ったり止んだりの道中、霞か霧が時々視界を遮る。雲の中を走って居るのか、まるで霊鷲山か虚空にでも向かって居る様な錯覚を起こす程である。清澄寺に着いた頃には傘はなくとも良い程で、霧が消えれば祖師堂が目の当たりに浮かんでくる。
朝勤参列中、突然背中が寒くなり、風と共に小雨が祖師堂の中迄吹き込んできた。かつて別当をお務めになられた岡﨑英雄猊下が「お務めの後、法衣が重くなる」と何かに書いておられたが、私共も少し実感することができた気がした。下界では想像出来ない貴重な体験であった。
大聖人が初めてお題目をお唱えになられた旭が森には住職が代表で石段をのぼり、私共は下で合掌し、小雨の中バスに乗り込み清澄山を後にした。
皆様とお詣り出来た事の感激。元気であればこそ感謝の日々である。ただ此の頃、物忘れが多くなり年齢を実感する。9月4日は歌舞伎座の招待日であることを失念して居た事も「人間万事塞翁が馬」と。
此の度、団体参拝旅行に参加し、お陰さまで無事お詣りが出来たことは、仏様・御祖師様からご褒美を頂いた心境である。あえて申せば、より多くの信徒皆様とご一緒出来れば、尚楽しかったと。

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3連覇

2013年11月1日

サッカー部消息2013-秋

春季区大会で初タイトルを獲得してから、夏季大会・秋季大会と3連覇することができました。

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現在、都大会に出場できるよう頑張っています。

2013本納寺子供科学実験教室

2013年10月18日

楽しかった実験教室

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参加者からの感想
「穴が深かった。ぶら下がったとき手が滑った。どきどきした。楽しかったからやってみたい(小1女子)」
「火山灰やほこりが1メートル積もるのには1万年かかるそうで、今回は4メートル掘ったので、触った土が4万年前をものだとわかりびっくりした。(小5女子)」
「中学生の自分にも簡単すぎず難しすぎず良かった。(中3男子)」
「次回は、今回掘った穴の続きで青色の土も見てみたい(小5女子)」
「舌が一番敏感だからという理由で、土をなめるという体験をしました。おいしくはなかったです(保護者)」
などなど、たくさんの感想が寄せられました。

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小森先生より
本納寺夏の実験教室はいかがでしたか?
今回はとにかく“孔(あな)を掘る”という企画でした。一見すると単純な作業でしたが、地球の中心に向かって4メートル12センチも孔を掘り、そこにあった地下水や数万年前の地層をみずから手にした経験はとても珍しいと思います。世界中を探してもそんな経験を持つ小中学生にはまず会えないはずです。みんなの良い思い出になってくれればうれしいです。
今回掘った孔は埋め戻さずに保護しておけることになりました。次のチャンスには、ぜひ皆さんで掘り進めてみたいですね。目標は 6m!もしかすると関東ローム層(赤土)とは違う地層に到達するかもしれません。また,その時は地中温度の特長を使った温暖化対策の話や、地震・火山の災 害の話にも触れてみようと思います。

本納寺 御会式

2013年10月1日

25年お会式行事のご案内

1017日(木)午後6時開式(無料)
宗祖日蓮大聖人第732遠忌御報恩法要

奉納公演 「こども達からのサウンドメッセージ」 こどもの城児童合唱団
指導・指揮 吉村温子氏/演奏 林あづさ氏

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今年のお会式奉納公演は、こどもの城児童合唱団をお迎えします。一度聴いたら誰もが笑顔になる元気いっぱいの合唱団です。
会場が本堂のため今回は30名体制でお願いしました。親しみのある曲を中心に、歌って踊って、見る人も参加できる楽しいステージになることでしょう。

本納寺書道展のお知らせ
1017日(金)・18日(土) 10時~16

お会式に併せて写経会および子供・大人書道教室のみなさんの作品を展示いたします。
ぜひご覧ください。

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25年子供科学実験教室レポート

2013年9月12日

「地層を掘ってみて、それを見る」

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夏休みが始まって間もない7月26日、本納寺で子供科学実験教室が開かれました。境内の隅に穴を掘り、土の変化を観察するという実験に、小学生6名、中学生3名が取り組みました。
「上を見上げるとどこまで見える?・・・空まで!・・・横は展望台に上ればずいぶん先まで見えるよね。じゃ、下はどこまで見たことがあるかな?」という先生の問いに「そういえば地面の下ってそんなに見たことがないな」と気づく子供達。外に出て、ワインオープナーを大きくしたような器具で掘り進み、40センチごとに樋に取り出します。急いで温度を測り色をチェックし手触りも確認します。猛暑の中、そうやって2時間かけて4メートル掘りました。途中地下水にも行き当たり、子供達はもちろん見学の大人も大興奮!
当初は、お向かいの大鳥神社でも掘らせていただいて、土の違いを調べる予定でしたが、本納寺の境内を掘っただけで残念ながら時間切れとなってしまいました。(大鳥神社の宮司様もお子さんと一緒に参加してくれました。) それでも、50センチごとの土のサンプルをお土産にもらって、充実の四時間(盛り上がって予定を一時間オーバー)となりました。最後のまとめの時間に、最初の予想と実際の観察結果を比べました。

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第9弾 私の木 —感応道交—

2013年8月21日

「For Kids 9」

第9弾です。
ご感想をお待ちしております。myo-eizan@honoji.or.jp

KAORI (2013-08-25)
私はファンタジーが好きなので、今回はファンタジックな作品で気に入りました。

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