水引マスクチャーム
2023年2月25日
2023年2月25日
2022年12月12日
ご受章を心からお慶び申し上げます
このたび本納寺檀信徒である東大名誉教授の別府輝彦師が文化勲章を受章されました。
日本の応用微生物学、バイオテクノロジーの基礎を築かれ、長年にわたり学界・産業界・科学行政への多大な貢献が認められての受章です。
10月末に新聞の「今年度の文化勲章受章者発表」という記事を見ていたら別府さんの名前が載っているではありませんか。すぐに電話したところ「住職のお目にも留まりましたか」と穏やかにおっしゃっていました。
別府さんは物腰が柔らかく、私達にいつも丁寧に接してくださいます。このたびの輝かしい勲章は、私達の想像を超えた並々ならぬご苦労があったにちがいありません。不屈の精神で、別府さんのお人柄である「丁寧」を幾度となく積み重ねてきた結果の受章、当山ならびに檀信徒におきましても嬉しいかぎりです。
<以下新聞・HP等記事より一部抜粋です>
文化勲章の親授式が3日、皇居・宮殿「松の間」で行われました。受章者6人のうち箏曲の山勢松韻さん(89)、日本画の上村淳之さん(89)、発酵学の別府輝彦さん(88)、歌舞伎の松本白鸚さん(80)の4人が出席し、天皇陛下から勲章が、岸田文雄首相からは勲記が手渡されました。
陛下からは「長年努力を重ね、文化の向上に尽くされたことを誠に喜ばしく思います」とねぎらいのお言葉を頂戴しました。
受章者は宮内庁で記者会見に臨み、別府師は授与式の後、陛下から別府さんの恩師の本を読んだことを伝えられたといい、「非常に感激した。晴れがましい勲章を頂戴できるとは夢にも思っていなかった」と話しました。
別府 輝彦( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)は、日本の応用微生物学者、東京大学名誉教授。
東京府出身。1952年東京都立戸山高等学校卒業。1956年東京大学農学部農芸化学科卒業。1961年同大学院化学系研究科農芸化学専門課程博士課程修了、農学博士。1969年東京大学農学部助教授、1977年教授となり、1993年同大生物生産工学研究センター長を兼任。1994年定年退官、名誉教授、日本大学生物資源科学部教授。1996年、紫綬褒章受章。2006年総合科学研究所教授。1998年微生物機能の開発とその利用に関する基礎的研究で日本学士院賞(山田秀明との共同研究)。2004年日本学士院会員。2009年、瑞宝重光章受章。2012年文化功労者。2022年文化勲章。
著書
『応用微生物学は種の多様性にはじまる』三田出版会 ステアリングシリーズ 科学技術を先導する30人 1990
『新・微生物学』I.B.S出版 バイオテクノロジーテキストシリーズ 2004
『新・微生物学』講談社 新バイオテクノロジーテキストシリーズ 2012
『見えない巨人微生物』ベレ出版 2015
2022年7月11日
2022年6月9日
2022年5月7日
2021年2月18日
2020年8月9日
2019年11月5日
2016年11月20日
2016年8月17日
サッカークリニック-稲葉洸太郎選手-
何度も寺報やblogでご紹介しています当山檀信徒のフットサル日本代表選手、稲葉洸太郎選手が、シーズン中にもかかわらず、住職がコーチをしているサッカー部で指導をしてくれました。 生徒は緊張気味で声をかけてくださる稲葉コーチに、もじもじした対応でしたが、プレーを褒めてもらったり、一緒にトレーニングをしているうちに打ち解けて、充実したサッカークリニックになりました。そして、日本代表選手に直接教えを受けたことはとてもよい思い出になったことでしょう。
稲葉洸太郎オフィシャルサイト http://pakila.jp/inaba/
お盆の夕方
2016年8月1日
池に蓮華が咲きました
これは檀信徒の片桐良和さんが丹精に育てていたものです。残念ながら良和さんは本年急逝してしまって、育てられなくなってしまい、ご家族から蓮華を寄贈したいというお申し出がありました。当山の池はそのままにしておく(放置?)のを原則としているので、何の手入れもできませんが、それでも良ければということでお預かりし、鉢をそのまま池に入れておいたところ、まさにお盆にあわせたかのごとく、見事な花を咲かせました。奇しくもご本人の新盆法要が厳修された日でした。
またその鉢のなかで同様に育てていたメダカも放流されました。白いメダカやオレンジ色、さらには透明で尾っぽのところが青く光っているメダカもいます。
覗いてみると小さなメダカたちが泳いでいるので、自然に孵化して増えているようです。
2016年4月10日
御衣黄押し花
お檀家のYさんの奥様、和江さんから御衣黄の押し花の額を御奉納頂きました。
大玄関に飾ってあるので、既にご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
春らしい色合いの背景に、本納寺門前にある御衣黄をあしらったとても素敵な作品です。おかげで玄関がとても明るくなりました。
※今門前の御衣黄が見頃です。
ギョイコウ(御衣黄)は、サクラの栽培品種である。開花時期はソメイヨシノより遅めの4月中旬~下旬頃(東京や京都など)。 大きさは中輪~大輪の八重咲き(花弁数は10~15程度)で、花弁は肉厚で外側に反り返る。色は白色から淡緑色である。中心部に紅色の条線があり、開花時には目立たないが、次第に中心部から赤みが増してきて(紅変)、散る頃にはかなり赤くなる。場所や時期によって、花の大きさや色合いなどに大きな差がある。緑色の花を咲かせ、この緑色は葉緑体によるもので、同じく葉緑体をもつ鬱金も若干緑色がかかるのだが、その量が少 ないためにもっと薄い淡黄色である。また濃緑色の筋の部分には、鬱金の花にはない気孔も裏側に存在する。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
2016年2月5日
大活躍 靴下カバー
お檀家の辻愛子さん、千代田政子さんから、靴下カバーをたくさんご奉納頂きました。
冬になると本納寺の客殿は寒く、椅子席になってからは特に、部屋の中でエアコンを付けていても足下が寒いというお声を耳にして気になっていました。
そんな折、編み物が得意なお二人が、昨年秋に、大小たくさんの靴下カバーを編んできて下さったのです。細かい作業は大変だったでしょう。
12月頃から、かごに入れて各部屋に置いておいたところ、ご法事でいらした多くの方が使って下さっています。靴下カバーはとても暖かく「脱ぐとスースーするので一度履いたら脱げない」と大好評。一緒に置いてある膝掛けと共に、この冬に大活躍しています。これから毎年登場しますので、皆様ぜひご活用下さい。
2015年9月2日
終戦70年の夏に
猛暑の8月、お檀家の娘さんのイエリン晴羅さんが祖父のジェリーさんと一緒にお参りにみえました。
きっかけは終戦70年のテレビの企画で、晴羅さんの母方の祖父、太郎さんのお墓にお参りするというものでした。
お参りのあと、孫の世代に平和な世界を切望するという趣旨内容で、戦争におけるジェリーさん自らの過去や戦争に対する思いを語るという対談形式。ジェリーさんは、太郎さんとの関わりあいや、実際に日本を訪れての日本人に対する思いがどんな風に変わったか等を晴羅さんに伝えていました。
戦時中P-51のパイロットとして日本上空に飛来していたジェリーさんは、番組の中で、「当時は、真珠湾で仲間を攻撃した日本人を敵としか考えていなかったが、戦後日本を訪れて、自分がしたことを考えるようになった」「憎しみはお互いを知ることで癒えていく。相手を理解し、怒りを愛に変えることが必要なんだ」と語り、「単純なことだけど、それが正しい」と晴羅さんが答えていたのが印象的でした。
「父、太郎は義父、ジェリーを大変尊敬していました。尊敬というより憧れにも近いような心情でしょうか。当時、飛行機乗りになりそびれた私の父からすれば、ジェリーはエリート中のエリートに映ったのでしょう。昔は敵同士であったけれど、子供たちの結婚を通して、肌の色は違っても同じ時代を駆け抜けてきた同士として、良い友達関係を築いてきた仲でした」(晴羅さんのお母様孝子さん)
ジェリーさんは大変お元気で91歳にはとても見えず(毎朝プールで30分歩いているそう)ユーモアたっぷりでジョークを言い、スマホを自在に扱うスーパーおじいさんでした。
私たちにも「国は違っても同じ人間同士です」と言ってお帰りになりました。
今回この様な機会を得たことをきっかけに、お参りの方に数人にもお話を聞いてみました。穏やかな普通のお年寄りに見える方でも、水を向けると大変だった体験を次々に話して下さることに驚きました。
終戦から70年経った今、戦争を体験した世代がご高齢になっています。直接お話を聞く機会もどんどん減っていきます。夏だけ省みることではありませんから、資料館、書籍、映画なども通じて娘たちにも伝えていこうと思いました。
2015年1月13日
年末のお参りー益城ルネサンス熊本フットボールクラブのみなさま
年の暮れ、益城ルネサンス熊本フットボールクラブ(女子サッカー)で活躍中の檀信徒、島田佳由子さんが、チームメイトと一緒にお参りにいらっしゃいました。 一年前に亡くなったお母様は、佳由子さんの試合を応援するのが生きがいで、いつも熊本まで駆けつけていたそうです。
チームは今季素晴らしい成績を納め、プレナスチャレンジリーグ(なでしこ2部)に昇格しています。 チームの皆さんもお母様にはお世話になったとのことで「いつも応援してくれていたので、昇格の報告ができて嬉しいです」と話してくれました。
皆さんの活躍が何よりのご供養に、恩返しになることと思います。これからも頑張って下さい!