ForKids book
2016年5月4日
2016年5月4日
2016年4月10日
御衣黄押し花
お檀家のYさんの奥様、和江さんから御衣黄の押し花の額を御奉納頂きました。
大玄関に飾ってあるので、既にご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
春らしい色合いの背景に、本納寺門前にある御衣黄をあしらったとても素敵な作品です。おかげで玄関がとても明るくなりました。
※今門前の御衣黄が見頃です。
ギョイコウ(御衣黄)は、サクラの栽培品種である。開花時期はソメイヨシノより遅めの4月中旬~下旬頃(東京や京都など)。 大きさは中輪~大輪の八重咲き(花弁数は10~15程度)で、花弁は肉厚で外側に反り返る。色は白色から淡緑色である。中心部に紅色の条線があり、開花時には目立たないが、次第に中心部から赤みが増してきて(紅変)、散る頃にはかなり赤くなる。場所や時期によって、花の大きさや色合いなどに大きな差がある。緑色の花を咲かせ、この緑色は葉緑体によるもので、同じく葉緑体をもつ鬱金も若干緑色がかかるのだが、その量が少 ないためにもっと薄い淡黄色である。また濃緑色の筋の部分には、鬱金の花にはない気孔も裏側に存在する。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
2015年5月9日
2014年3月22日
『九老僧制作にあたって』
平成25年4月のとある日。本納寺住職が私の工房へ来られ、日蓮聖人の孫弟子にあたる九人の老僧のお像=九老僧(くろうそう)の制作のお話しをいただきました。お話しを伺ってみると、本納寺の門前には『九老僧安置』と明記された大きな石塔が存在するのですが、九老僧のお像がお寺のどこを探しても見当たらないという何とも不思議な経緯でした。
さらに、九老僧に関する史料というのは皆無に等しいということでもあり、私は制作を開始する前に九老僧一人ひとりがどのような個性を持った人物であるか、また九人がそれぞれどのような関係であったかを知ることから始めなければならないと感じました。4月の終わり、住職からご紹介をいただき日蓮宗大本山池上本門寺様の霊寶殿担当安藤様をお訪ねし、そこで大変興味深いお話しを伺いました。
まず一つ目に、九老僧に関する史料及び御像はほとんど残されていないとのこと。
また二つ目に、九老僧それぞれの思想の違いもあり、一同に祀られることはなかったであろう、とのことでした。
そこで私は、今回の制作に於いては史料が少なく、それぞれの人物を実在していた時の姿で忠実に表わすのは難しく、またそれを追い求めてもあまり意味のないことと判断し、ある一つの世界を形として現せたら、という思いでお像の制作を開始いたしました。 春に育ち、夏に耐え、秋に想い、冬に考え、それを繰り返し成長し、調和状態になって行くように、九老僧一人ひとりがそれぞれの役割を持ち、ある方は春であり、ある方は夏であり、またある方は秋、冬…。そしてある方が太陽、そして月、と言ったように力(エネルギー)に差はあっても、全てが揃ってはじめて一つの世界が生まれてくるようなイメージで十体の御像(日朗上人含む)を制作いたしました。そこに、元々お祀りされておられた日蓮聖人が中心となり、一つの曼荼羅の世界が出来上がったかと思います。 平成25年10月17日「宗祖御日蓮聖人第732遠忌御報恩会」が本納寺本堂にて厳粛に執り行われました。当日、仕上がったばかりの九老僧を前に、住職が「これは気合いを入れて開眼しなくては」と仰いました。この言葉を聞いた時、私は住職の心の中に九老僧が納まってくれたのだ、とホッとしたのが正直な気持ちでした。
開式の時刻を伝える鐘が鳴り響くと、本堂にはお檀家さんや地域の方々が続々と集まってきて下さいました。私の知人や仏像彫刻教室の生徒さんたちもお祝いに駆けつけてくれ、嬉しさもひとしおでした。
法要が無事に終わり、お檀家さんが用意して下さった「すいとん」の味は忘れられないものとなりました。気のせいでしょうか。住職の娘さんが運んでくださった私のすいとんは他の方よりも多く具が入っているような気がしてなりませんでした。
今回多くの方々に御焼香をして頂き、住職をはじめ式衆の魂のこもった開眼供養を受けた九老僧の姿は、私の胸に深く刻まれることとなりました。九老僧がこれから先、多くの方々の御心に寄り添って下さることをご祈念いたします。
仏師 藤田 良夫
平成25年10月17日。この日は私にとって忘れることの出来ない日となりました。
日蓮大聖人の732遠忌の法要当日、沢山の御供え物が並べられ、煌びやかな御本堂に安置された九老僧は、すでに私たちの手を離れ、菩薩としての役割を遂行しようとしておられるかのようなお顔でした。住職に始まり、檀信徒の皆様お一人おひとりにご焼香いただき、立ち昇る煙を見上げながらふと目をやると、日蓮聖人のお顔は微笑んでいるかのようでした。法要も終盤にさしかかり、住職の木剣加持が本堂に鳴り響くと、私は肩の力が抜け、心が浄化されてゆくのを感じました。全てのものへの感謝の気持ちが溢れ、涙を止めることが出来ませんでした。
この度の九老僧制作にあたりましては、その史料の少なさゆえ各人の性質・性格的特徴からお顔の表情を推定することが難しく、最後まで「これで良いのか」という自身への問いかけが続きました。それだけにあの日、皆様に『再興された九老僧』に手を合わせ受け入れていただきましたことは、何よりも嬉しいことでした。
これから何十年、何百年先までも九老僧が檀信徒の皆様のお心に寄り添い、この雑司が谷の地を守護して下さいますよう切にお祈りいたします。
仏師 岩﨑 真理
【藤田良夫 略歴】
1922年(昭30)栃木県真岡市生まれ。1970年(昭45)仏師・渡邉貞光氏に弟子入り。1975年(昭50)独立。
◎近年の主な制作例
1995年(平7)天照大神 像高30センチ(北海道)・1995年(平7)日蓮聖人座像 像高1メートル(東京)・1997年(平9)大黒天立像 像高1メートル(京都)・2001年(平13)薬師三尊立像 像高1メートル(静岡)・2003年(平15)鬼子母神立像 像高2メートル(四国)・2008年(平20)釈迦如来座像 像高1メートル20センチ(千葉)・2009年(平21)龍神尊立像 像高1メートル50センチ(熊本)。
◎個展・受賞歴
2010年(平22)金沢・髙木糀商店にて二人展『素心仏展』開催。2012年(平24)東京・林泉寺にて二人展 『春の林泉寺展』開催。2012年(平24)一般社団法人 日本画府第五九回公募展に初入選。「浮現観音」が奨励賞受賞、及び「気付き観音」入選。2013年(平25)一般社団法人 日本画府第60回記念日府展にて「毘沙門天」、及び「気付き観音」入選。2013年(平25)横浜髙島屋および日本橋髙島屋にて二人展。平成25年3月には宮城県石巻市を訪れ、被災した方々に小さな仏様約70体を手渡す。毎週日曜日には仏像彫刻教室を開催し、地域住民を対象とした生涯学習活動を行っている。
【岩﨑真理 略歴】
1980(昭55)愛知県名古屋市生まれ。2008年(平20) 仏師・藤田良夫氏に弟子入り。2009年(平21)早稲田大学大学院教育学研究科後期博士後期課程単位取得退学。2010年(平22)聖観音立像 像高六○センチ(愛知・助正院様)
◎個展・受賞歴
2008年(平20)三愚舎ぎゃらりー『雑司が谷・鬼子母神界隈を描く展』にて「子安鬼子母神」画廊賞受賞。2008年(平20)三愚舎ぎゃらりー『雑司が谷・鬼子母神界隈を描く展Ⅱ』 にて「子安鬼子母神・文月」を特別出品。2009年(平21)一般社団法人 日本画府第五六回公募展に初出品。「子安鬼子母神」が初入選。2010年(平22)一般社団法人 日本画府第五七回公募展に「夢想観音」入選、及び新人賞受賞。2010年(平22)金沢・髙木糀商店にて二人展『素心仏展』開催。2012年(平24)東京・林泉寺にて二人展『春の林泉寺展』開催。2012年(平24)一般社団法人 日本画府第五九回公募展にて「花かんのん姉妹」入選、及びアート企画賞受賞。2013年(平25一般社団法人 日本画府第六○回記念日府展にて「いのち」入選。2013年(平25)横浜髙島屋および日本橋髙島屋にて二人展。平成25年3月には師匠の藤田と共に宮城県石巻市を訪れ、被災した方々に小さな仏様約70体を手渡す。
2014年3月4日
九老僧安置
当山門前左側の石碑に「九老僧安置」と刻まれております。
寶永5(1708)年5月18日 第5世日猷上人の代に、従五位下中山備前守丹治信敏の願により勧請され、その後寶歴9(1759)年9月19日、第11世日圓代 施主中山備前守丹治宗信の寄進によって再興されています。石碑は寶曆三(1753)年十二月に造立されました。
これらのことは、雑司が谷周辺の郷土史『若葉の梢』『櫨楓(ろふう )』の記述にて確認できます。先々代兜木正亨師が編集した『新編若葉の梢』(昭和33年5月15日発行)にも「本納寺に九老僧安置」と記述されているのですが、どこにも見当たりませんでした。どうして無いのかも、いつまであったかのかも不明です。
九老僧というのは、日蓮聖人の直弟子日朗上人の高弟9人のことです。 勧請された時の朗門とのつながりも、どうしてここ本納寺に九老僧なのかも、わかっていません。
しかし、以前、九老僧が当山に安置されており、檀信徒を御守護してくださっていたことは間違いありません。
この度、平成25年度の新盆志納により九老僧を勧請しました。
九老僧が、再々興されたわけです。木像製作は地元雑司が谷にある平安堂の佛師 藤田良夫師と岩﨑真理師にお願いしました。
これから先の皆様を御守護くださることでしょう。
九老僧とは日蓮聖人の直弟子日朗上人の高弟九人の総称で、後の教団に大きな影響を与えた方々です。そのため、古来宗門では「朗門の九鳳」、または「九老僧」と称しています。
・肥後阿闍梨日像上人・大教阿闍梨日輪上人・大法阿闍梨日善上人・大円阿闍梨日典上人(日伝とも)・大前阿闍梨日範上人・摩訶一房日印上人・大乗阿闍梨日澄上人・妙音阿闍梨日行上人・越中阿闍梨朗慶上人
2012年6月11日
2012年2月12日
2011年4月26日
武蔵鐙(ムサシアブミ)
本堂前の枝垂れ桜の足下にひっそりと生えているので、探して下さい。
●わが国の本州、関東地方以西から四国・九州、それに朝鮮半島や中国に分布しています。海岸に近い林内の湿ったところに生え、高さは30~60センチになります。葉は3出複葉で、小葉は卵形です。3月から5月ごろ、真っ直ぐに花茎を伸ばして、暗紫色から緑白色の仏炎苞に包まれた花を咲かせます。名前は、仏炎苞のかたちが武蔵の国で作られていた馬具の鐙(あぶみ)に似ていることから。この塊茎は有毒ですが、漢方では天南星(てんなんしょう)と呼んで、薬用にされます。
●サトイモ科テンナンショウ属の多年草で、学名は Arisaema ringens。英名は Jack in the pulpit, Musasi-Abumi。
( 「植物図鑑 Weblio辞書」より)
2011年4月21日
満開ー御衣黄
今門前の御衣黄が満開です。すこしずつピンクなっていきます。
ギョイコウ(御衣黄)は、サクラの栽培品種である。開花時期はソメイヨシノより遅めの4月中旬~下旬頃(東京や京都など)。 大きさは中輪~大輪の八重咲き(花弁数は10~15程度)で、花弁は肉厚で外側に反り返る。色は白色から淡緑色である。中心部に紅色の条線があり、開花時には目立たないが、次第に中心部から赤みが増してきて(紅変)、散る頃にはかなり赤くなる。場所や時期によって、花の大きさや色合いなどに大きな差がある。緑色の花を咲かせ、この緑色は葉緑体によるもので、同じく葉緑体をもつ鬱金も若干緑色がかかるのだが、その量が少ないためにもっと薄い淡黄色である。また濃緑色の筋の部分には、鬱金の花にはない気孔も裏側に存在する。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
2011年3月5日
ネパールからのお客様
ネパールからKP氏が来寺されました。KP氏はアメリカを中心とした慈善活動家で、日本やアメリカで講演活動を行い、ネパール支援への窓口になっている男性です。友人の紹介で、都内での講演の合間に遊びに来て下さいました。十数回日本を訪れ「日本大好き」というKP氏。その友人と我が家の娘二人が町を案内しました。
雑司が谷霊園をはじめ、小倉屋(地元の美味しいお煎餅屋さん)、鬼子母神堂など色々とまわり、雑司が谷の雰囲気を楽しんでいただけたようです。(鬼子母神で仁王様について説明すると「よく知ってるねぇ。」と感心され、少し嬉しかったです。「娘談」)
ブータンから帰って間もない住職は、KP氏とネパール・ブータンの話題で盛り上がりました。
KP氏は主にネパールに亡命しているチベットの人々が住む山間の村へのサポート、教師(チベット語を含む)や看護士、医師(チベット医学)の育成、村の人々の医療、教育、衛生など、女性や子供たちをその土地の文化習慣で守る為に色々な活動をしています。
チベットは文化や風習が失われつつある深刻な状況にあり、支援者たちは今、国内外でいろいろな形で守る為の努力をしています。
2010年6月26日
鳥の巣発見
境内の木のうろに鳥の巣を発見しました。頻繁に出入りしている鳥がいるので近づいてみるとうろの中から「ピキピキ」と複数の鳴き声がします。
親鳥はせっせとえさを運んではまた飛び立っていきます。
巣が見られたのは嬉しいのですが、問題はこの巣のある場所。うろは地面から130センチくらいで子供がのぞける高さ。木のすぐそばにブロック塀があり、早くも巣に気づいた猫がじーっと座って見ている毎日です。鳥の親子が無事に暮らせることを願います。
2010年5月26日
猫が金魚を狙っています
いつも金魚に悪さをする、のら猫(私たちは「アイツ」と名前をつけました)が木に登って金魚を狙っています。娘が見つけて「アイツが木に登ってるよ」というので撮りました。
登ったものの下りるのに苦労していて、地面に下りるまで家族ではらはら見守ってしまいました。
2010年5月10日
マレーシアからのお客様
マレーシア・ペナン島のある法華山一念寺の参拝団が来寺されました。総本山身延山久遠寺をお参りされた後、帰国のため空港に向かう途中、お参りくださいました。
あまり時間がないとのことなので少し早めのお経をお唱えしたところ、大きな声で全員が日本語のお経をスラスラと唱和して下さいました。
数人が片言の日本語をお話になるだけだったのでびっくりしました。
お土産にといただいたマレーシアのお経本をあとで見てみると漢字の横にローマ字表記で日本語読みが記されていました。大変熱心な方々で身延山への参拝も4度目になるそうです。
2010年3月11日
バリアフリートイレ
このたび、井戸の横にあるトイレが改装されました。以前は和式トイレで段差もあり、ご高齢の方から「使いづらい」「上り下りが恐い」との声がたくさんあがっておりました。
そこで今回、車いすも入れる広々とした洋式トイレに改装しました。手すりもあるので安心してお使い頂けます。
また東屋の裏(ゴミすて場・古卒塔婆置き)も整備され、お参りしやすくなりました。