InSri Lanka3
2025年2月9日
In Sri Lanka3
翌日は寺院の日曜学校を訪問しました。北西部州クルネーガラのAhugoda寺にあるスリ・ダンマナンダ仏教学校(Sri dhammananda dhamma)です。
日曜学校は、小学校低学年から高校生まで、年代別にクラスが分かれていました。低学年の部屋では、みんなでお絵描きをしていたので話しかけると、照れてもじもじしています。「私も書いていい?」と聞いて、子供達のスケッチブックの端に、日本といえば「ドラえもん」かなと、ささっと描きました。しかしその後の子供たちの薄い反応からすると、どうやらドラえもんを知らないようでした。リサーチ不足!
お寺の境内には高学年生たちが大勢いて、肘でつつきあい押し出された子が代表で話しかけてきました。最初の質問は、「How old are you?」。あまり外国人と接する機会がなかったのかもしれません。生徒たちの前でお経を一読してこの学校を後にしました。
次は同じく北西部州にある日本語学校、スプートニク国際教育学院に移動。ここは日本のアナウンサー秋沢淳子さんが、語学教育をはじめとする様々なプロジェクトで、スリランカの青少年と日本人との交流をサポートしている学校です。日本の本をたくさん所蔵する図書室や広い多目的ホールなどもある素晴らしい環境でした。日本語を学ぶ生徒への就労支援にも力を注いでいて、見学した授業では介護について(介護の際に使う言葉も含む)の授業をしていました。綺麗に日本語で書かれたノートを見せてもらいながら、いずれ彼らが日本で活躍する日が来るのだなあと感慨を覚えました。
続いてこのスプートニクが運営する女性孤児院を訪問。自分たちが置かれた境遇を悲観することなく、大変な世界で独り立ちできるような女性に育っていってほしいという思いで設立された施設です。高校生くらいまでの子が生活しており年上の子が下の子の面倒をよくみていたのが印象的です。施設の方から、彼女たちの日常や運営上のご苦労を伺ったあと、妙福寺からのお土産(吹き戻し笛と紙風船)を渡しました。キラキラした目で受け取る子供達。しばらくして、おとなしくしていることに飽きた子が、笛を吹き、紙風船をポーンポーンとやりはじめました。私も一緒になって遊んだのはいいのですが、盛り上がった彼女たちはいつまで経ってもやめてくれません。運動不足の私は、汗びっしょりで足もガクガクする始末。それでも彼女たちが楽しんでくれたのなら良し!です。
次の日は早朝5時に起床して、シギリヤ・ロック※へ。約1200段の階段を約40分登ると頂上です。シーズンオフで他に観光客がおらず貸切状態で、360度の大パノラマ眺望と美しい朝日を見ることができました。大混雑で人が連なる階段の様子をネット画像で見ていたので、嬉しさ倍増。早起きは三文以上の得!!
ホテルに戻って朝食をとった後、両替に行ったATMの向こうに象ライドが見えたので、乗ってみることにしました。しばらく森を散歩して道を曲がると、なんと目の前にシギリヤ・ロックが!象の背中から見上げる景色もまた最高でした。が、当然ながらゾウの背中は大きくて幅広く、体が硬く股関節が開かない私には長時間の股割り状態が辛かったです。
その後は、牛飼の掛け声でゴトゴト進んでいく牛車に乗ってのビレッジツアーに参加しました。小さな湖に着き、そこからは小舟です。蓮華がたくさん咲く水面を進む中、船頭さんが花飾りや葉っぱの帽子などを作ってくれて楽しい写真が撮れました。到着した村では、薪の竃に乗せた鍋にココナツミルク・スパイス・豆などを入れて煮込む、本場スリランカカレー作りの実演を見学しました。そしてスリランカ料理が並んだテーブルで昼食です。衛生面を心配しながら(失礼!)も、とても美味しくいただきました。もちろんその後のお腹も無事でした。
象の見張り用だというトムソーヤのツリーハウスのような小屋がありました。この村にはときおり夜に野生の象が現れ、住居を破壊したり人を襲ったりするそうです。象よけの空砲(竹筒にガソリンを入れて引火して鳴らす)や、椰子の葉で編む屋根の作り方など、現地の暮らしを感じる珍しい体験ができました。「達彦記」(つづく)
※スリランカで屈指の世界遺産がシギリヤ・ロックです。5世紀、父親を殺害し王位をものにした「狂気の王」カッサパ1世が、その罪の意識から逃れるように断崖の上に自ら築いた王宮シギリヤ・ロック。空中に浮かぶ要塞のような王宮で栄華を極めた王都の香りを今に残しています。1400年経っても今なお鮮やかに残るフレスコ画のシギリアレディー、綿密なシンメトリーの庭園など、卓越した建築美術が窺えます。カッサパ1世の死後、19世紀にイギリスの探検家が発見するまで1300年間ジャングルに閉ざされていました。