そもそものはじまりは・・・江戸時代、徳川家光の頃
- 寛永5年(1628)実蔵院日相上人が現在の地に三宝諸尊 (さんぼうしょそん)を祀ったことに始まります。日相上人が特にこの地を選んだ理由・動機は明らかではありませんが、寛永年間にちょうど雑司が谷鬼子母神の参詣が流行したことと関わりがあるようです。
- 寛永5年という年は徳川家光が江戸幕府の三代将軍に任じられてから5年目で、世上も安定してきた時期です。それより22年後の慶安3年(1650)、本納寺は正式に寺院として開かれました。
郷土誌に描かれた当時の儀式
現在本堂にある三光天像、寺宝の1つです。
- 当時の境内には客殿の外に、日相上人建立と伝えられる三光堂があり、日月星の三光天子像が安置されていました。そしてこの三光天と密接な「七夜待」という修法儀式が盛んに行われていたそうです。これは、毎月17日の夕方から23日の暁までの間、三光が同時に空に現れる明け方を待ち、終夜、読誦・唱題を続けるものでした。